2012年04月02日
変わる離島の生活環境
4月1日、うるま4島(平安座島、宮城島、伊計島、浜比嘉島)の
小中学校7校が廃校となり、彩橋小中学校として統合された。
地元の反対も2年に及んだが、明治時代から続く歴史に幕を降ろした。

かつて平安座島には干潮時のみ徒歩で渡っていたが、
70年代にガルフ社が海中道路を建設、1,997年には浜比嘉大橋が完成、
海中道路は1,999年に4車化された。
うるま4島は離島でなくなった。観光客も増えリゾートホテルができ、
石油会社の就労やその地代、生活も豊かになり、Uターンによる人口も増えた。
今回の統廃合は、いわゆる離島苦、人口減少による離島の学童不足ではない。
本島との橋のアクセスにより、その後、都市構造が変化し、
教育システムが変わったことによる統廃合なのである。

一方、島を訪れる観光客は日帰り客がほとんどである。
海中道路の交通は、日常生活関連以外は、石油基地関連、
日帰りレンタカーが圧倒的に多く、ホテルの宿泊客は減少した。
海の環境の変化も大きい。
海峡は長い年月、堤防で仕切られたために、南東側は下水の流入もあり
藍藻が発生し、干潮時は臭いがする。

離島の輝きを失った島の伝統を受け継ぐのは難しい。
離島は、観光スポットより目につかない所に、むしろ魅力を感じる。
子供達はその島の輝きを知っているのだろうか。

台風銀座に造られる宮古島の伊良部大橋は、
強度見直しの設計変更により、2年後に開通予定である。
島の人は『家に鍵をかけなければ安心できなくなる。』と嘆いていたが、
それ以上に、島の未来が一変することを、肝に据えるべきだろう。
地続きの下地空港が、普天間空港の移設先に挙げられたのは、
その理由の一つである。

3月31日夕方に浜比嘉島の比嘉小学校に行くと、
引越しを終えた教諭が、学校に最後の鍵をかけたところだった。
島の中腹にあるこの小学校は、2段に整地された、
月桃の匂う、よく手入れされた小さな学校であった。
話をきくと、跡地利用は決まっていないようだ。
廃校は、集会所、ギャラリー、宿泊所などに利用される事例が多いが、
島内の高台はこの付近だけなので、避難場所には最適であろう。
三陸地方ならば選択の余地はない。
児童の想い出とともに、建物も残してもらいたいものだ。

小中学校7校が廃校となり、彩橋小中学校として統合された。
地元の反対も2年に及んだが、明治時代から続く歴史に幕を降ろした。

かつて平安座島には干潮時のみ徒歩で渡っていたが、
70年代にガルフ社が海中道路を建設、1,997年には浜比嘉大橋が完成、
海中道路は1,999年に4車化された。
うるま4島は離島でなくなった。観光客も増えリゾートホテルができ、
石油会社の就労やその地代、生活も豊かになり、Uターンによる人口も増えた。
今回の統廃合は、いわゆる離島苦、人口減少による離島の学童不足ではない。
本島との橋のアクセスにより、その後、都市構造が変化し、
教育システムが変わったことによる統廃合なのである。

一方、島を訪れる観光客は日帰り客がほとんどである。
海中道路の交通は、日常生活関連以外は、石油基地関連、
日帰りレンタカーが圧倒的に多く、ホテルの宿泊客は減少した。
海の環境の変化も大きい。
海峡は長い年月、堤防で仕切られたために、南東側は下水の流入もあり
藍藻が発生し、干潮時は臭いがする。

離島の輝きを失った島の伝統を受け継ぐのは難しい。
離島は、観光スポットより目につかない所に、むしろ魅力を感じる。
子供達はその島の輝きを知っているのだろうか。

台風銀座に造られる宮古島の伊良部大橋は、
強度見直しの設計変更により、2年後に開通予定である。
島の人は『家に鍵をかけなければ安心できなくなる。』と嘆いていたが、
それ以上に、島の未来が一変することを、肝に据えるべきだろう。
地続きの下地空港が、普天間空港の移設先に挙げられたのは、
その理由の一つである。

3月31日夕方に浜比嘉島の比嘉小学校に行くと、
引越しを終えた教諭が、学校に最後の鍵をかけたところだった。
島の中腹にあるこの小学校は、2段に整地された、
月桃の匂う、よく手入れされた小さな学校であった。
話をきくと、跡地利用は決まっていないようだ。
廃校は、集会所、ギャラリー、宿泊所などに利用される事例が多いが、
島内の高台はこの付近だけなので、避難場所には最適であろう。
三陸地方ならば選択の余地はない。
児童の想い出とともに、建物も残してもらいたいものだ。

Posted by Katzu at 14:35│Comments(0)
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