2014年06月08日

要る風景・要らない風景

 平成17年施行の景観法の制定により、公共物のデザインは
景観保全のための検討が求められるようになった。
個人の商売優先で進められたネオンなどによる光害や、
広告物の氾濫などが相対的に街の景観の価値を下げる。
日本人がこの景観破壊に気付いたのは、高度成長が終わった頃
つまり、日本の伝統的景観の多くが失われた後であった。

景観計画の策定のない市町村では景観協定をしない限り、
民間の建築物に関しての規制はないが、デザインする側で
極力注意すべきものは地平・水平線を変える構造物である。

要る風景・要らない風景

先月、渡り鳥のアジサシが営巣のために飛来した屋我地島は、2本の橋で
本島とつながったとは言え、集落内は離島ののんびりした風情が残る。

要る風景・要らない風景

北部海岸は数年前までウミガメが上陸し小島が点々と浮かぶ静かな白浜であった。
数年ぶりに行くと、地元漁業のための屋我地一種漁港が建設されていた。
景観的には自然石の護岸を用い、橋梁はサーチャージとのクリアランスを限定した
スリムなPC橋で、景観法の制定後求められている設計であることがわかる。

要る風景・要らない風景

しかし、必要施設と判断されたとはいえ、水平線に横たわる大きな施設により、
沖縄らしい農魚村風景が阻害されたのは紛れもない事実なのである。

要る風景・要らない風景

ウミガメの話も聞かなくなり、観光客が素通りし忘れられた集落の寂寥感、
住民コンセンサスというのは建前の形式で公共施設が計画されていく焦燥感、
過疎化の進む日本の地方で何度味わってきたことだろう。

要る風景・要らない風景

一方、北部の古宇利島とは橋梁でつながり、沖縄北部を代表する景勝地になった。
橋というものは不思議なもので、利便が良くなった島民と観光客の喜びみたいなものが
自然に伝わり、大型構造物でありながら、何となく違和感なく容認されてしまう。
エリグロアジサシでさえ隣の岩礁に営巣し、あきらめたような雰囲気さえある。

要る風景・要らない風景


橋の脇に弾丸型の建物ができていた。
隣接市町村から何度も見かけるほどこの建物は目立ち気になっていた。

海を隔てた大宜味村の結の浜からは、島の灯台のように見える。

要る風景・要らない風景


10km以上離れた名護岳の山頂からは、ランドマークとしての巨大モニュメントのように見える。

要る風景・要らない風景


対岸の屋我地島にある国立療養所愛楽園の慰霊碑からは、パゴダの仏教施設のように見える。

要る風景・要らない風景


小島の間からは、南海の森に浮かぶウリのオブジェのようにも見える。

要る風景・要らない風景


これは景観地区に限らず都会ではよく景観論争になるパターンであるが、
個人施設の場合、隣接者の同意が得られ一旦建築許可が出ればそのまま施工される。
行政の指導にもよるが、基本的に所有者の計画コンセプトと設計者の能力・経験にゆだねられる。
景観とは、他人から見えるあらゆる物が対象物になる。
ゆえに、設計者はあらゆる角度からの景観デザインの検討が必要になる。

島の振興のための観光施設と知り理解する一方、島の元風景を知る人はどう感じているのだろう。
昨年策定された今帰仁村の景観計画との関係はどうなのだろう。
人の立場で変わる要る風景と要らない風景がある。

要る風景・要らない風景

この周辺は全国でも稀有のエリグロアジサシの営巣地であるが、
大海原を滑空する白い姿にふわしい昔の島の風景を思い描いていた。



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