2015年08月17日
忘れえぬ街 その8
夢のシャングリラ:香格里拉

日本人の住みやすい環境を探していくと、温暖なラオス・タイ・南中国から
チベットにかけての日本人起源説の一つに数えられる地域に重なってくる。
すると、同じ大乗仏教であるチベット仏教の街、その名も香格里拉あたりが
理想郷かもしれないという想いを抱いていた。

ナシ族の聖山玉龍雪山を越え、金沙江を渡るとチベット族の自治州に入る。
少数民族の多い雲南省にあっても、都市化とともに漢族との同化が進み、
観光以外にその違いを強く意識する機会は少なくなった。

国内観光客のあまりの多さと、招かざる外国人観光客の少なさに、
徐々にストレスと疎外感を感じ始める頃だった。
やがて谷が深くなり、狭い土地に農家が張り付きタルチョの旗が
見え始まると、田舎に近づくような安心感を覚えた。

中国人観光客は減り、外国人は少し増え、バスで3時間後、
標高3,300mの香格里拉に到着する。

街は中国の普通の地方都市であるが、間もなく人々の眼差しと
態度が柔らかく好意的であることに気が付く。
注目されてきた観光地であり、外国人に慣れているせいもあるが、
道を聞いても親切に教えてくれ、英語が通じる割合が高い。
チベット族は仏教徒でもあり、控え目で表情もどこか日本人に似ている。

香格里拉古城の中心には、月光広場が整備され、隣接する大亀山公園に
大仏寺と世界一のマニ車があり、ここだけは観光バスが次々訪れる。

1日中回っているマニ車は人が回しているものだった。
日中は観光客でテーマパーク化してうんざりするが、朝夕は少なく
お祈りしながら回す信仰者だけで一緒に回すと神聖な気分になる。
ただ、人が徐々に減ると重くなり、最後はトレーニングのようになる。

この周囲の旧市街地は昨年の大火事から復興する途中にあり、
予約した客桟は、100軒が焼失した境目に残ったものだった。
その時の状況を聞くと、日本語のわかる人を電話で呼び出してくれた。

街はいち早く、狭い路地の仏塔から復旧されていた。
新しい店の飾りは、手彫りの竜のデザインで統一されている。

集落の中心もこの仏塔が広場の役目を果たしているが、反面、
観光地の車社会は、マニ車を回せないほど駐車場化している。

郊外にそびえる松賛林寺は、チベット仏教ゲルグ派の
ラサのポタラ宮に次ぐ、第二の寺院であると言われる。
チベット仏教寺院は初めてだが、十分感化されるものがあった。

僧侶たちは修行のみならず、寺の補修工事のために鉄骨を運び
廃材を処理する姿も見られ、開かれた生活感のある寺院である。

本堂に入ると絵の不思議さに眼開き、神聖な気分になる。
迷える子羊のごとく、先を行く人に従いひざまづく。
観音菩薩、文殊菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、吉祥天など、
お馴染みの仏神が祀られており、一人ずつお祈りしていく。

日本と大きく違うのはダライ・ラマ14世の像が含まれ、
五体投地することくらいで、祈る態度に大きな違いはない。
シルクロードを通り中国経由で日本に渡った仏教と経緯は異なるが、
海を渡った果ての地に同じ神様がいることに、新鮮な感動を覚えた。

松賛林寺の公衆トイレは雲南省で一番清潔であった。
案内板は英語、日本語、韓国語で併記されている。
英語で外人観光客に説明する僧侶もいて、ここが中国で一番、
精神的にも開かれた国際性豊かな場所であることがわかる。

一方、チベット騒乱後も中国政府の抑圧政策により
僧侶の自殺が絶えない現実が、正しく外国に伝わることはない。
神秘的で自由な創造性を持ち合わせるチベット仏教と、古い唯物史観に
固執する党本部とは、方向性が異なることは誰の目にも明らかである。

地名はもともと中甸という名を、観光のために香格里拉(シャングリラ
:理想郷の意)に変えた観光地であり、実際の理想郷ではなかった。
しかし、中国の平原から奥地へ距離と高度を稼いできた者にとっては、
香格里拉は、チベットのシャングリラへの入口なのかもしれない。

この街から放牧地のナパの海を越えると、さらに険しい横断山脈がそびえる。

日本人の住みやすい環境を探していくと、温暖なラオス・タイ・南中国から
チベットにかけての日本人起源説の一つに数えられる地域に重なってくる。
すると、同じ大乗仏教であるチベット仏教の街、その名も香格里拉あたりが
理想郷かもしれないという想いを抱いていた。

ナシ族の聖山玉龍雪山を越え、金沙江を渡るとチベット族の自治州に入る。
少数民族の多い雲南省にあっても、都市化とともに漢族との同化が進み、
観光以外にその違いを強く意識する機会は少なくなった。

国内観光客のあまりの多さと、招かざる外国人観光客の少なさに、
徐々にストレスと疎外感を感じ始める頃だった。
やがて谷が深くなり、狭い土地に農家が張り付きタルチョの旗が
見え始まると、田舎に近づくような安心感を覚えた。

中国人観光客は減り、外国人は少し増え、バスで3時間後、
標高3,300mの香格里拉に到着する。

街は中国の普通の地方都市であるが、間もなく人々の眼差しと
態度が柔らかく好意的であることに気が付く。
注目されてきた観光地であり、外国人に慣れているせいもあるが、
道を聞いても親切に教えてくれ、英語が通じる割合が高い。
チベット族は仏教徒でもあり、控え目で表情もどこか日本人に似ている。

香格里拉古城の中心には、月光広場が整備され、隣接する大亀山公園に
大仏寺と世界一のマニ車があり、ここだけは観光バスが次々訪れる。

1日中回っているマニ車は人が回しているものだった。
日中は観光客でテーマパーク化してうんざりするが、朝夕は少なく
お祈りしながら回す信仰者だけで一緒に回すと神聖な気分になる。
ただ、人が徐々に減ると重くなり、最後はトレーニングのようになる。

この周囲の旧市街地は昨年の大火事から復興する途中にあり、
予約した客桟は、100軒が焼失した境目に残ったものだった。
その時の状況を聞くと、日本語のわかる人を電話で呼び出してくれた。

街はいち早く、狭い路地の仏塔から復旧されていた。
新しい店の飾りは、手彫りの竜のデザインで統一されている。

集落の中心もこの仏塔が広場の役目を果たしているが、反面、
観光地の車社会は、マニ車を回せないほど駐車場化している。

郊外にそびえる松賛林寺は、チベット仏教ゲルグ派の
ラサのポタラ宮に次ぐ、第二の寺院であると言われる。
チベット仏教寺院は初めてだが、十分感化されるものがあった。

僧侶たちは修行のみならず、寺の補修工事のために鉄骨を運び
廃材を処理する姿も見られ、開かれた生活感のある寺院である。

本堂に入ると絵の不思議さに眼開き、神聖な気分になる。
迷える子羊のごとく、先を行く人に従いひざまづく。
観音菩薩、文殊菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、吉祥天など、
お馴染みの仏神が祀られており、一人ずつお祈りしていく。

日本と大きく違うのはダライ・ラマ14世の像が含まれ、
五体投地することくらいで、祈る態度に大きな違いはない。
シルクロードを通り中国経由で日本に渡った仏教と経緯は異なるが、
海を渡った果ての地に同じ神様がいることに、新鮮な感動を覚えた。

松賛林寺の公衆トイレは雲南省で一番清潔であった。
案内板は英語、日本語、韓国語で併記されている。
英語で外人観光客に説明する僧侶もいて、ここが中国で一番、
精神的にも開かれた国際性豊かな場所であることがわかる。

一方、チベット騒乱後も中国政府の抑圧政策により
僧侶の自殺が絶えない現実が、正しく外国に伝わることはない。
神秘的で自由な創造性を持ち合わせるチベット仏教と、古い唯物史観に
固執する党本部とは、方向性が異なることは誰の目にも明らかである。

地名はもともと中甸という名を、観光のために香格里拉(シャングリラ
:理想郷の意)に変えた観光地であり、実際の理想郷ではなかった。
しかし、中国の平原から奥地へ距離と高度を稼いできた者にとっては、
香格里拉は、チベットのシャングリラへの入口なのかもしれない。

この街から放牧地のナパの海を越えると、さらに険しい横断山脈がそびえる。

Posted by Katzu at 02:31│Comments(0)
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