津波に耐える構造物とは?
津波の減災を被害状況から想定する。
一昨日は震度5の揺れで、一晩中停電が続き、不安の眠りは浅かった。
被災地の方々はこれに津波の不安も重なり、さらに厳しい夜だったと察する。
余震は90回を越えたらしいが、この地震と津波のエネルギーは計り知れない。
その傷跡から被害を最小限に食い止める方策を考えたい。
1.力学的解釈を越えた津波の破壊力
ひとつの例を見てみよう。仙台市若林区の荒浜にあった門柱と街灯である。
門柱の転倒方向と街灯の曲げ方向が逆である。通常このようなことは起こり得ない。
ねじれのようにも見えるが、支柱が門柱に鋭く衝突したようなめりこみ方である。
これは津波が繰り返し起きたことと、引潮の圧力のためであろう。
構造物の力学計算は、土圧、水圧、風荷重、雪荷重など力の方向を定め計算するが
これでは計算できない。
チリ地震津波は延長5kmにも及ぶ水のかたまりとなって押し寄せたと言われる。
仮に、高さ1m分の津波が時速40km(秒速11.1m)のスピードで幅30mの建物に
ぶつかった場合の総運動エネルギーは
1/2×M×V×V =9.24×10の9乗ジュール
一方、400トンのジャンボ機が時速500km(秒速138.9m)で建物にぶつかった場合は
1/2×M×V×V =3.86×10の9乗ジュール
つまり、津波の衝撃はジャンボ機が2回以上建物にぶつかったエネルギーに匹敵する。
それが何波も繰り返し、最後は引潮により逆向きの瓦礫を集めた圧力が加わる。
命を守る設計屋はそこまで想定しなければならない。
さらに、液状化と漂流物火災、9.11テロ並みの衝撃を考慮すると、
防災中高層建築物の提案には覚悟がいる。
2.それでも残った建築物
荒浜で残った唯一の建物は公衆トイレである。バブル時代に造られたものは基礎も深く、
防災トイレのように汲み取り式を選択できるものもある。
公衆トイレは1000万円以上する高価で強固なものが多いが、今回の震災はその用を成さなかった。
なぜなら、ここにはトイレ利用者が残っていなかったからである。
津波警戒区域を見直し、防災施設には土木構造物なみの強度を持たせることが必要であろう。
3.強固な土木構造物
阪神淡路大震災後の、耐震設計に基づいた土木構造物は基本的に強い。
すべてを破壊したあとの釜石市内の橋脚であるが、傷んでいない。
同じく堤防の樋門も残されたものが多い。
しかし、トータル的には機能しなかった。設計年確率がばらばらなことにも起因するが、
1000年確率の構造物を造ることよりも、命を守るための別の手法を探すべきである。
4.防波堤の是非
海の万里の長城と言われた田老の防潮堤や宮古、釜石の防波堤に様々な意見が散見される。
どの意見も正しそうだが、実際見た私の見解はこうである。
田老の例は津波防波堤というより、スレンダーな防潮堤であった。
その破壊による第1波の減衰効果はあったかもしれない。
さらに堤内の傾斜堤防は残ったが、津波はその上を越えていった。
悲劇的だったのは、堤防を越え水は射流となって堤内に流れ込み、
行き場を失い渦状に街を破壊したことにある。
釜石港湾事務所資料
宮古、釜石の沖合にあるケーソン型防波堤は壊れたが、他の地域に比較して
市街地の壊滅を免れたのは、この減衰効果があったのは明確である。
ただ、これ以上巨大で、強固な構造物を造る意味はB/Cを計算するまでもない。
津波を正面から直撃を受けた場合、擁壁の縦壁が途中で折れてしまう。
野田村の十府ヶ浦の防波堤の例である。
破壊を免れた堤防は田老の堤内堤防、荒浜の防波堤でいづれも傾斜堤防である。
射流による堤内洗掘はあるものの堤体の損傷はほとんどない。
ただ、津波対策としてはさらに高さのあるスーパー防波堤が必要であろう。
これらは、単純な設計ミスなどというものでなく、トータル的なマネージメント不足なのである。
津波の防波堤は、バッファとして必要である。
冷徹に思えるが、防波堤により助かった命も大切なのである。
計画のスキームは津波の減災、確立年を想定した整地計画、計画的土地利用の誘導、
そしてなにより大切なのは住民の街づくりに対する意識である。
計画は、現場を見てその匂いを感じ、歴史を紐解き、現況を把握してから方針を立てなければならない。