ハードとソフトの震災復興

Katzu

2013年07月11日 14:32

 震災復興は様々な局面を迎えている。
表向きは元の街に戻った地域、ようやく工事が始まった地域、事業さえまとまらない地域
それぞれに、多くの課題を持ち、不便で不安な生活を強いられている多くの人々がいる。

 半年振りに宮城県女川に足を運んだ。
震災直後、宮城県の海岸を北上し、石巻の市街地の惨状を目の当たりにし、
これ以上の修羅場はないだろうとたどり着いたのが女川だった。
そこで目にしたのは、映画や写真でも見たことのない光景であった。
三陸海岸の津波の高さと破壊力に、文字通り息が止まる思いであった。


             震災2週間後


               現在
       
 女川町は最も早く復興計画を策定した市町村の一つであるが、
ようやくハードな事業が動きだしてきた。
一部認可された土地区画整理事業や中心部の津波復興拠点整備事業が始まり、
総事業費546億円が計上された。(日本建設新聞7月10日)


     
このような目に見えるハード面の整備が、なぜもっと早く進まなかったのか疑問視する
人も多いが、従来の許認可、補助金システムではこのスケジュールが限界であろう。
 事業を委託されている事業協同企業体には、かつて一緒に作業した設計.計画者も
いるが、恐らく同じ悩み、痛みを持つことだろう。
委託事業が始まれば、Aと言えばA、Bと言えばBの答えを出さなければならない。



 事業の進展で懸念されるポイントは、
1、山を削り海岸を埋めたてることで、表裏一帯の山と海の環境が崩れること。

2、将来の人口定着を誘導できるか。高台住宅地への移転と世代交代が進まないまま、
  海岸線に人が戻る歴史を繰り返さないか。

3、仮設住宅の生活が長くなることに加え、農漁村コミュニティの維持をどう繋ぎ止めるか。

 一方、避難生活を余儀なくされている人も多く、まだまだソフト面の活動.支援も必要であると感じる。
女川鷲神浜のコンテナ商店街では、ボランティアや有志による沖縄まつりが開催された。
個人的に沖縄から来た民謡歌手の堀内さんを中心に、東京の民謡仲間、仙台のエイサーグループ
などが参集し、地元の商店街の客や仮設住宅の高齢者を招待し交流を深めている。



アカデミックに活動しなくても、このような気持を伝える活動は、
被災地ではまだまだ必要で、震災後の犠牲者が増えないためにも、見過ごさず、
気に留め、顔を出し、一言話すだけでも気はまぎれる。

 今年3月に再開した石巻市の石の森漫画館の対岸にある仮設商店街
『石巻まちなか復興マルシェ』でも、復興コンサートが開かれていた。
この周辺は大型漁船が道路をふさいだ地点で、現在も魚の腐敗臭が残り、
街も復旧されていない。
石巻市は、新市街地での工事が進んでいるが、
同様にコミュニティの維持と配慮、ソフトな支援がまだまだ必要であると感じる。



テレビで伝えられる活況や交通復旧だけではなく、
この現状を知る国民は一体どれだけいるのだろうか、と疑問を持つ。
震災後に亡くなっている人の数が、2,600名を超えたことを考えれば、
生活再建の道はまだ先にある。

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