ハード面から都市を創造する
防災都市の基本
基盤づくり、防波堤、防潮堤、防潮林が津波対策の中核である。
基盤づくりとは安全な宅地盤造成のことである。高さについては、
チリ地震津波並みの10m、今回の遡上波の30mを想定しつつ、
土地利用別、規模別に想定されるべきだ。
個人的な見解としては、住宅の造成地盤高は
50年に一度の津波を想定し、高さ10m程度、かつ限定的にすべきだ。
広範囲の地盤嵩上げは、環境に対する負荷、液状化、地盤沈下などの
リスクを考えれば得策でない。
防波堤については、様々な意見が散見される。釜石の水深64mの
世界最大の湾口防波堤でさえ壊れた。
しかし、大船渡、宮古、釜石は新しい防波堤のために、壊滅的な被害を
受けた女川、陸前高田、大槌に比べ、津波高も低く軽減されたと言える。
問題は釜石の場合30年間で、1200億円かけた
事業効果である。
5年間で300億かければ高台にニュータウンを建設することも可能だからである。
現在の壊れた防波堤はどうするか。
海面に堤体は見えていないが、構造そのものは傷んでないという意見がある。
しかし、潜堤の崩壊の方が修復不能なのだ。ケーソン本体と消波ブロック同士を
連結し、次の津波の軽減に備える
消波堤にするか、魚礁にするしかない。
海岸線の防潮堤はどうか。古い防潮堤や嵩上げしたものは壊れた。
傾斜防波堤は残ったが高さが足りなかった。
既にマスコミで話題になっているが、奇跡的に被害を免れた村がある。
普代村は、隣接の野田村、田野畑村が甚大な被害をうけたにもかかわらず、
被害者は漁港にいた一人だけであった。
これには確固たる理由がある。
震災10日後に行った時は、漁港の片付け作業中であったが、街の変わらぬ姿と、
高さ15mの防潮砦に圧倒されてしまった。
前村長が15年間で36億円をかけた大英断であった。
一方では、これだけ高価な構造物を造ることの費用対効果があるのか
という意見もある。
命を守るため、この巨大な構造物を他地区でも造り続けるべきか。
答えは否である。
この防潮堤が機能したのは、普代村の地形的な理由にある。
集落は入口の狭い谷の上流側にあり、河口の水門と、隣の漁港の上流側に
造られた防潮堤により、ボトルネックをふさぐ形になった。
巨大防潮堤は地理的条件が整った場所に限定すべきである。
防潮林はどうか。日本100景の高田松原は津波で流された。
防災のフィジカルな効果は少ないが、それ以上の数字に現れない価値がある。
残された1本の松が、環境とまちづくりの遺産である。
環境資産としてだけではなく、残された松林が流出物を止める役目を果たした地域もある。
環境を重視したまちづくりは、減災を基準に考え、防波堤に囲まれた街ではなく、
木の隙間から海の見える防潮林があるのが望ましい。
三陸の海岸においては、スーパー堤防の背後に松林をバッファゾーンとして
設ける案も良いのではないか。
設計確率
設計確率は構造物により異なる。道路雨水は7年、調整池は30年、
河川は50年(100年)が基本である。新しい防波堤は100年確率であろう。
エンジニアリングの世界では設計確率に基づき設計し、それ以上は想定外に
なってしまう。1000年確率などはあり得ない。その時は他の構造物が
既に機能していないためである。
しかし、モノは壊れても、最低限、人の命を守ることを想定する必要がある。
上物計画
復興計画は、地域地区指定による土地利用の誘導とともに、
津波危険区域の建築規制も視野にいれるべきだ。
海岸に面する高さ10m以下の宅地の独立住宅規制や、
中層建築物の指定と防災構造化などが考えられる。
道路計画と避難路計画
広域幹線については、三陸海岸沿いは通常でも脆弱な路線なので、
北上山地を縦断する国道の整備が必要と感じる。
集落移転、拠点整備計画を想定するための条件となる。
地区単位では、ハザードマップ、地区カルテを見直し、
わかりやすい避難計画を立てる。
また火災延焼を防ぐ、防災エリア、広幅員道路の計画も必要である。
迅速な避難をするために、避難所までの距離をどのくらい取るべきか。
地震発生後、最短10分で津波が到達することを考慮すると
5分で逃げ延びられる距離は、1m/sとして300m。
登山のスピードは高低差3m/minとすると高さ15mとなる。
高齢者はさらに時間がかかるが、これを避難場所選定の基準にしたい。
指定避難所の見直し、防災施設の強度化は言うまでもない。
サイン計画
街づくりのためのサイン計画は、非常時だけでなく、防災意識を
風化させないためにも必要である。
北三陸地方では、多くの津波サインを見かけた。
その町の取り組みは、外からの訪問者にも伝わるものがある。
冷静に大震災を振り返ると、全体としての防災計画は、
50年確率の生活地盤をベースに、今回のクラスの津波に対しては
減災を念頭にしてもよいのではないだろうか。