梅雨の合間の晴れの早朝、山に入る予定で車を動かす。
起きたばかりで平衡感覚が変だと感じ、降りて見るとパンクであった。
昨日、復旧の遅れた未舗装の三陸の被災地を回ったため、
瓦礫の金属の欠片が刺さっていたらしい。
寿命だったので、近くのガソリンスタンドで新タイヤに交換する。
時間がすぎ登山は諦め、
登山口で情報を収集する。
朝日連峰の古寺ルートは一番手頃で、今まで10回ほど利用しただろうか。
先々週山開きしたばかりで駐車場は、満車状態であった。
宮城ナンバー以下、県外ナンバーが多かった。
震災以後、変わらぬ山の姿を求めに来たのだろうか。
古寺鉱泉朝陽館は、40年前と全く変わっていない。
以前は山形市内から1日がかりであったが、今は車で1時間弱である。
登山客はもう出た後で主人一人だった。
今年は積雪も例年通りとなり、登山ルートは鳥原ルートもピッケルなしで大丈夫らしい。
ぶな峠に行き、
うば石を探す。
登山者の時は興味がなかったが、歳を重ねるうち
みちのくの山岳信仰の奥深さを実感するようになった。
通りかかった車に聞くが、解からないという。
山道ドライブで会うのはばあさんと息子の組合せが多い。
旧道を探し諦めた帰り道、また同じ車に出会う。
“俺も気になって探したら、見つけ拝んできた”と言う。
それは峠の駐車場の向いにあった。
柳田國男の「老女化石譚」によると、全国の霊山の麓には
姥ヶ石伝説が数多く残っているという。
その伝説は女性が女人禁制の結界を破ったため、
神罰を受けて石と化したといわれている。
柳田は、その山を信仰した姥が山で修業を積み、
往返の道者たちがこれに基づいて石に名づけたのを、
その慣行が断絶して後、悪い方にこれを解説するに至ったのだろう。
と説明している。
似たような話は海外にも多い。
南洋
パラオの話は、女人禁制の催事が行われるバイ(集会所)に、
子供を抱いた女性が近づき、中の様子を覗いたために母子ともに石になった伝説と
その石が残っている。妙に泣けるような印象深い石であった。
ぶな峠のうば石は、リアルな姥地蔵で恐ろしい。
近世のものと疑ったが、台座をみるとかなり古く解読できない。
金剛山から富士山、月山でも修業を重ね、山岳信仰の開祖といわれる
役行者(えんのぎょうじゃ)も恐ろしい風貌画が残っている。
紀伊の大峰山の女人結界の碑も、この姥石も同じ観念の強い宗教心に
基づいており、日本の山岳信仰の底辺のつながりを感じる。
日本人の自然崇拝の感性を現代社会にどう反映できるのか、
大震災を経験した後、いつも頭の片隅から離れない。