熊野への道

Katzu

2015年10月23日 20:03


              熊野岳

 日本の都市は欧米に比べ公園面積が少ないにもかかわらず、
比較的緑が多いと感じるのは、遠景の山脈の緑のカーテンととも
に鎮守の森が市街地の緑被地を担保しているためである。
寺社が日本の景観を構成する最も重要な要素であることは
紛れもない事実であるが、神社を深く信仰することも、
とりまく環境を理解する機会すら少ない。


             熊野本宮参道
          
 全国の神社数は、コンビニの数の約2倍、10万以上と言われる。
最も多い3万以上のお稲荷さまを筆頭に、八幡さま、神明さま、お諏訪さま、
天神さま、春日さま、八坂さま、住吉さまと続く。
国の安寧、戦勝を祈る神社を除き、その多くは庶民の商売、縁起、
学問、健康に関する生活に直結する神が祈りの対象である。

日本古来の山岳信仰、自然信仰の流れを受け継ぐのは熊野神社である。
同じ山岳信仰には浅間山神社、白山神社、出羽三山などがあるが、
その中でも熊野神社の数は全国に3000を超えると言われる。


           熊野大社参道(南陽市)

 熊野神社は3にまつわる教義により信仰を広めていった。
大峰山は古い修験道の山にふさわしく、関西にこんな秘境があることに
驚いたが、さらに奥に大峯奥駈道が続き熊野に通じていることを知った。
全国的には、熊野三山、熊野大社(南陽市)、熊野皇大神社(軽井沢)
が日本三熊野とされ、出雲の熊野大社は元宮か別系統と言われる。



その熊野信仰の中心となる総本山が紀州の熊野三山で、
熊野速玉大社、熊野那智大社、熊野本宮大社で構成されている。

吉野の大峰山に対し『東のお山』と呼ばれているのが蔵王の熊野岳で、
蔵王山神社は、龍山、酢川神社、熊野神社で三社一宮を成している。
この三社一宮は熊野信仰の特徴と言われる。(Wikipedia抜粋)




 熊野詣での前に、蔵王山神社と熊野大社に参拝する。
蔵王温泉から1時間ほどで龍山の山頂に達する。
山頂にはお堂があるが龍山神社は麓の中桜田にあり、
ここには薬師如来が祀られている。



すでに紅葉の時期で、対面の熊野岳は雲の中だった。
次に刈田岳から熊野岳に向かうが、お釜の噴火警戒区域にあたり
登頂できなかった。気温は10℃ほどで、ナナカマドの実が異様に赤かった。



 蔵王権現を祀る刈田嶺神社から、改めて熊野岳とお釜を眺める。
以前は観光地化した蔵王に、登山の魅力を感じなかったが、今の世になり
山岳信仰とは山の神を鎮めるものであることをようやく理解できた。



山を降り南陽市の熊野大社に着く。以前近くに住んだこともあったが、
この神社が日本3熊野のひとつであることも知らなかった。
創建は奈良時代に遡り、伊達家、最上家、上杉家の加護を受けた。



本堂脇にある稲荷様の鳥居をくぐっていくと、
神社本殿の後ろで参拝客がじっと上を眺めている。
3つのウサギを見つけると幸福に結ばれると言われている。




 和歌山の新宮市は海、山、川の合流地にある風光明媚で
材木の集散地として発達した街で、熊野速玉大社が
『紀伊山地の霊場と参詣道』の世界遺産の一部に登録された。



この地は、黒潮本流、リアス式海岸、紀伊山地からの急峻な熊野川が
ぶつかり合う、世界一の多雨地帯で、台風、洪水の多い地域でもある。



熊野速玉大社は、イザナギの神が祀られているが、
同時に自然の鎮守の役目を担っていたのであろう。




熊野本宮大社は熊野川の中流にあり、八咫烏が神の使いとされる。
この3本足のカラスの所以は、海外説も含め諸説あるが、
熊野信仰が3を基本としていることと呼応している。
御神徳の智・仁・勇、または天・地・人を表し、全国の神社も
三社一宮のトラスのような強い構造で結ばれている。




熊野へ続く古道は世界遺産として登録され、各地の神社を結ぶ
かつての修験道も日本の山河を駆け巡っている。



日本人は宗教観に乏しいと言われて久しいが、大震災以降、
合理性に欠くパワースポットブームやお遍路回りが盛んなのは
日本人の宗教観が戻りつつある証拠かもしれない。

 震災被害を調べた時、津波の被害を免れた神社は地形的にも
歴史的にも適地選定された土地に建立されたものが多かった。



熊野本宮は熊野川流域にあり幾度となく洪水に見舞われ、
この地に神を祀った非合理性がよく理解できなかった。




 しかし、人間の所作により人工的な災害をもたらしたのは、
地球環境問題と同じ理屈で、神が怒ったせいではないが、
青い水と白い石が流れ暴れる熊野川、噴火口が口を開ける最果ての熊野岳、
そこに建つ神社は自然への畏敬の念を持つことの意味を思い起こさせてくれる。


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