樹氷の消える日

Katzu

2015年04月03日 19:55

 蔵王山(ざおうさん)の樹氷は、エビの尻尾が北風に向かい、
春になり氷が解けると、若い枝は南の太陽に向かう。



樹氷の生育条件は、-10℃~-15℃、標高1500~1700mの冬期に
シベリアからの北風が吹きつける亜寒帯湿潤気候の、アオモリトドマツの
生育する北西下がりの樹林帯、という限られた区域にある。



この標高差200mの平均気温差は1.2℃(100m登ると0.6℃降下と仮定)、
このままのペースで地球温暖化が進み、100年後気温が1.1℃上昇すると
仮定すると、樹氷はこのエリア内では生育できないことになる。



3月末にシーズンは終わりを迎えたが、今年はまだ山頂付近に多く残っていた。
近年、その成長範囲は年々狭まり、完全な姿は標高1600m以上と想定すると、
50年後には今の樹氷原の風景は失われる計算になる。

さらに酸性雪、PM2.5、ガの食害によるアオモリトドマツの枯死の影響により、
10年後には樹氷は消えるとさえ言われている。




 生育形状と殺那的な運命において、樹氷はサンゴに似ている。
サンゴの生育条件は水温20~30℃の光合成のできる水深の透明な海水で、
日本近海のサンゴは50年後に死滅すると言われている。
動物と植物の自然現象という違いはあれ、海と山の自然環境は表裏一体で
刻々と移り行く姿を魅せてくれる。



昭和38年の8mm家族映画を見ると、荒々しく無骨な樹氷が映っていた。
子ども心に怪獣のような威風堂々とした姿に畏怖の念を抱き、木の下は
大きな空洞があり落ちると危ないので近づくなと教えられていた。




今年は大雪であったが、例年通り4月に入り雨で樹氷は消えた。
樹木が現れ気付いたのは、樹氷原の大きなトドマツはすでになく、
枯れた木も多く、ほとんどの木は枝が折れる被害を受けていた。




 昔も今も変わらぬのはお地蔵さんで、今年はまだ肩の2m近くまで雪がある。
この地蔵さんは安永生まれの約240歳で、市内の宝沢から運ばれたと言われる。
安永と言えば、明和大津波と天明飢饉の狭間の時代で、桜島の安永大噴火の
翌年という、現在と同じ気候変動の時代に建立されたことになる。



この地点は熊野岳に通じる馬見ケ崎川の源流にあたり、
雨乞い、治水の信仰の対象であったと想像できる。
源流の八方沢は毎年遭難者が出たため、ロープを越えて立ち入る人はいなくなった。


 赤い雪と言われる氷雪藻を求めて、ゲレンデ近くのかつての樹氷原を歩いた。
国内では山形大学の研究が有名であるが、海外では Pink snow 、Blood snow 、
Watermelon snow とも呼ばれ、バイオ燃料分野からも注目されている。


        (Smithonian.com)

 キツネと自分の足跡だけが残る樹林帯は、シーズン終わりで音が全くなく
平和で、遠方の熊野岳から噴煙が上がることなど想像すらできない。

震災後の噴火に対する監視活動と防災対策は遅きに失した感もある。
噴火予知は近年の火山活動データがベースにあるので、地震・津波同様に
古い過去をひも解き、気象予報なみの精度と研究が求められるだろう。



※ 蔵王山はNHK、気象庁は“ざおうざん”と呼んでいるが、
広辞苑ほか辞典類の多く、地元では“ざおうさん”と親しみをこめて呼ぶ。
正確を期すなら熊野岳になろうが、一体どの意見が通り、いつから変わったのだろう。
“ニッポンのふじざん”と呼ばれる感覚に等しい。

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