例年よりも10日早い初冠雪があった翌10月1日、鳥海山に立ち寄った。
青空、初冠雪、紅葉の三段染めは年に1度の好機であったが、
頂上付近を除き、新雪はすでに溶けかけていた。
標高1200m付近は芝もみじが美しい湿った斜面が広がっている。
70年代この山岳道路は、滝の小屋までの工事が進んでいた。一旦
酒田の自然保護団体の抗議により、残り2kmの道路工事は中断した。
その後、大手開発業者のコクドがスキーリゾート計画を発表したが、
イヌワシの営巣地が発見され全国的な反対運動とともに計画は中止された。
この40年間、自然保護運動を巡る情勢は変化し続けた。
1970年代→自然への渇望
1980年代→アウトドアブーム
1990年代→リゾート開発型バブル
2000年代→低成長型エコロジー
2010年代→虚構のグローバル化と格差社会
戦後の日本社会はオイルショック、バブルの崩壊、東日本大震災を経て、
市民運動の対象や内容も変化した。自然保護運動は高い倫理観や
価値観を維持し活動しても、地元の利権と対立するケースも増えた。
外部からのイデオロギー闘争や多数派の権力構造の中に引きこまれ、
少数派として特別視されるおかしな良識無き社会になりつつある。
イヌワシは山の食物連鎖の生態系ピラミッドの頂点にあり、
鳥海山の象徴として認知された。その後、自然保護運動は
産官学の理解を得て、標高1200m以上の開発は規制され、
環境庁の猛禽類保護センターも開設された。
道路は、山小屋の維持のために計画されたものであったが、
現在の滝の小屋は良く手入れされ、付近は静かな高原の佇まいで、
計画そのものが本末転倒であったことがよくわかる。
もし、戦後最大の悪法と言われるリゾート法に乗りスキー場開発が
進められたら、スキーブームも去り経営は破綻し、すすき野の中の
テニスコートや斜面を切り裂くゲレンデの傷跡が残ったことだろう。
地方自治体にとって、林道維持と除雪は建設予算の大きな負担となる。
現在の気候変動は従来の降雨強度を変え、集中豪雨が保水効果の
ない流出係数の高い裸地を流れ、洪水リスクを高める結果となっている。
今あるゲレンデやゴルフ場でさえ、都市災害の上流側の一因を作っている。
蔵王山
途切れた林道終点では、会のメンバーがイヌワシの生態を観察していた。
時代の変遷とともに変わらぬ活動の継続が結果的に成功し、
この山の環境を守ってきた功労者と言えるだろう。
観察者に話を聞くと、営巣地上空がジェット機の飛行訓練ルートにあり、
爆音に驚き、なかなか姿を見せないと嘆いていた。
沖縄のジュゴンも似たような状況であるが、1個体が生態系ピラミッドの
底辺に住む人の環境にも影響を与えることが歴史背景とともに見えてきた。
紅葉の山から眺めると、黄金に輝く庄内平野から日本海が輝いて見えた。
今後は、トータル的な環境保護活動が目標になるだろう。