忘れられたパラワンオキナワン

Katzu

2011年10月19日 13:30

 世界のウチナンチュ大会が開かれた。
海外のウチナンチュは36万人いるという。
沖縄県人の3分の1は海外にいることになる。
東北地方も、海外の開拓団に参加した人は多いが、
その多くは土地を持たない農家の二男、三男で、
沖縄とは規模も事情も少し違う。



 世界のウチナンチュ世界・平和・未来展が、JICA沖縄主催で開かれていた。
世界のウチナンチュ分布図を見ると、ほとんどが県人会を組織する国で、
パラオは一人もカウントされていない。



 パラオは他の県人会のある国とは、事情が異なる。
パラオには沖縄姓の人が多い。100名は下るまい。
明らかに日本人の血を引く人もいる。
敗戦後、パラオ在住の日本人は全員、本土に帰された。
パラオは基本的に母系社会である。パラオ人女性は一族を守り、
日本人の父親だけ帰国したケースも多い。

 古い三線を人づてに探すうちに、何人かの沖縄姓のお婆さんと会った。
沖縄に行くと話すと、兄弟に元気だと写真を渡してくれと頼まれたこともある。
沖縄では一族の姉妹が迎えてくれ、お土産を持たされパラオに帰った。

パラオである女性の話を聞いた。
彼女は父に会いに日本に行ったが、会わせてもらえず泣く泣く帰国したという。
もう、これ以上は個人的に入り込めないと思った。

 パラオは終戦後、日本に帰属させて欲しいとアメリカに嘆願した国で、70年代、
非核憲法を盾に、アメリカの核拡大にNOを突き付けた初めての国でもある。
電話帳を見ると、日本名が多いのに驚くが(1割位)、日本人の偉人、軍人を
命名した場合も多く、必ずしも日系ではない。
沖縄の門中と同じく、名は血縁を表していない。
これを礼賛、美談化する輩もいるが、事実は多くの悲劇を生んだ。

そして、日本人はこんな日系パラオ人を忘れてしまった。

私はアイデンティの失われつつある、マイノリティとしての
パラワンオキナワンに、深い同情と愛惜を感じる。



 最近日本名のパラオの子供たちは、日本の文化に興味津々である。
ヒガさんの血縁のシンガーのタカは、三線に興味を持ち始めた。



 PCCのモモタロウ君は、日本語も英語も堪能で、大学の
代表として日本を訪れ、発表を行ったり、東北の被災地も
視察してきた。
彼は日本で見た大震災の状況を、なんとかパラオ人に
伝えたいと熱っぽく語ってくれた。


 きっと彼らの世代が、次回の世界のウチナンチュ大会
などの国際イベントや、シンポジウムなどで、
日系パラオ人の存在を日本人に示してくれるだろう。


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