パラオと北国を結ぶもの

Katzu

2015年04月17日 07:00



先日、天皇皇后両陛下のパラオ慰霊の様子がテレビで放映された。
顔見知りの中に陛下と話される元日本兵の倉田先生の姿があった。
彼は海洋生物学を専門とするパラオの生き字引のような知識人で、
両陛下がペリリュー島から手を合わせた先のアンガウル島の
最後の兵士で、戦後、慰霊碑整備に一人で尽力されていた。
工事が進まず仲間と一緒に島に手伝いに行ったこともあった。



ペリリュー島の遺骨収集団は毎年パラオを訪れ、何度かご一緒する
機会もあり、高齢の遺族の方の田舎に近い訛りに懐かしさを覚えた。
それもそのはず、パラオ守備隊の第14師団は宇都宮、高崎、水戸の
北関東を中心とした部隊で、広く東北出身の歩兵も含まれていた。



首都コロールには沖縄の移住者が多く居住区を形成していたが、
パラオ本島には東北からの開拓団による集落があった。

コロール州政府に配属される前、下調べをしていくうちに、
自分の近くにはパラオに関係する人が多くいることに気が付いた。



2001年、隣町の宮城県蔵王町には、レメンゲサウ大統領が
パラオの引揚者により開拓された北原尾(北パラオ)を訪れていた。
集落代表を務めた工藤さん宅にお邪魔しパラオ村の話を聞いたが、
半年後にその大統領に会うことになるとは想像すらできなかった。
徐々に運命の糸が自分を手繰り寄せているように感じ始めていた。



2009年、北原尾の人達は、元の開拓地を見るためにパラオ本島を訪問、
大統領とも再会を果たし、地元パラオでも話題になった。



先日電話をすると相変わらずお元気で、昨年パラオ大使が
天皇のパラオ訪問に先立つ大統領の来日に際しての誘いと、
あいさつのために工藤さん宅を訪れたという。



パラオに発つ直前、山辺町にアダチコロール州知事が墓参していた。
その後自分の長となるべきアダチ州知事は、州民の支持も高くビジネス
手腕にも優れた、今の日本にはいないタイプの政治家であった。
山辺町の安達博士とはとこの曽孫にあたり、戦前祖父の貞二さんは
真珠養殖のためにパラオに渡海し、敗戦と同時に強制送還されたという。



安達峯一郎博士は戦前の国際司法裁判所長で、オランダで国葬される
ほどの世界平和に貢献した偉人で、町内の保育所名にもなっている。



博士の生家は記念館として保存され安達尚宏館長が管理されていた。
先月、2年ぶりに訪れると館長は今年正月に亡くなられたと聞いた。
山形県、山辺町とコロール州との友好都市締結のため尽力されており、
少しだけお手伝いさせてもらったが、力及ばず成就できなかった。

 日本パラオ国際友好協会というNPO法人がある。
東京以外の支部が実家の近所だったので以前から気になっていた。
老後は暖かいパラオで、という雪国の人間にとっては夢のある話で、
大統領も賛同し、かなり背中がくすぐったい部分もあるが、今まで見た
パラオの紹介ビデオとは明らかに一線を画す内容であった。



現在、計画は中断し実現していないらしいが、大統領が北海道の人を
呼びたいと考えたように、北国とパラオを結ぶものは何かつながっている。

ただ最近気がかりなのは、ある種の日本人が親日を勘違いし、
戦前の考えと横柄な態度でローカルと接することである。
現地で見た幾つかの日帛プロジェクトがとん挫するのは、
すでにアメリカ化した社会に日本の様式を無理押しするためでもある。




昨年鶴岡市加茂水族館が世界一のクラゲ水族館として再オープンした。
中でもスペースを割いているのはパラオコーナーで、山形大学の
パラオ研究チームが学術的に研究、サポートしている。



展示では戦前パラオ南洋生物研究所にいた阿部襄山形大学名誉教授が
先駆的なパラオ研究者として紹介されていた。




震災後、パラオと東北の被災地を結びつける方法について考えていた。
両者にはビジネス以外にお互い補完できるものがあると今も感じている。


         ニライさんのFBより


関連記事