2011年09月02日
やちむん通りは文化のクロスロード
那覇に行く度に、壺屋やちむん通りに通うようになった。
壺屋は奇跡的に戦災から免れた町で、
古い那覇の佇まいを感じるからである。

知人から土産のシーサーを頼まれたこともあり、
帰郷する前日に各店をまわる。
シ―サーだけを見て、調べるほどにその深み、
面白さ、に魅了される。
シ―サーの原型はエジプトのスフインクスと言われる。
このライオン像は中国を渡り、琉球にたどり着いた。
シンガポールのマーライオンのように、アジア全般で獅子像は
見られるが、左右対称で、対になっているとは限らない。
一方、狛犬は、同じオリエントの獅子像を起源としつつ、
仏教の守護獣となり朝鮮半島から、日本に入ってきた。
狛犬は朝鮮半島の高麗犬が原型という説もある。
日本の狛犬はシ―サーと同じ、左右非対称の場合が多い。
沖縄のシ―サーはオリエントのライオンを起源としながら、
朝鮮半島から日本経由の狛犬の影響を受けて、
創作されたと考えるべきだろう。
もう一つのシ―サーの特徴は、素焼きが基本であることである。
中国の影響で釉薬を使った陶器が増えているなかで、
赤い土色は瓦同様、沖縄の焼物を象徴する色である。
これは南洋を起源とする素焼きの土器と同じで、
1000℃以下の焼成温度で焼いたものである。
八重山地方のパナリ焼は、南洋の古い土器と同じく、
赤っぽい素焼きに近い土器であった。

やちむん(焼物)の歴史は、16世紀の琉球王朝時代に始まると
言われるが、南洋から伝わった土器の長い歴史があって、
はじめて開花したものであろう。
中国経由の獅子像、朝鮮日本経由の狛犬、南洋経由の素焼き土器、
この3つのルートがクロスしたのが、那覇の壺谷やちむん通りである。

シ―サー探しは、本来の美しさを探すうちに、多くの選択肢がでてきた。
現在、市街地での登り釜は都市計画法上、違法となり、
多くは読谷村などに移転したが、ギャラリーの多くはここが中心である。
窯元の作風の違いや、競合を生み出す状況は、観光のみならず、
文化継承にめぐまれた環境と言える。

壺屋は奇跡的に戦災から免れた町で、
古い那覇の佇まいを感じるからである。

知人から土産のシーサーを頼まれたこともあり、
帰郷する前日に各店をまわる。
シ―サーだけを見て、調べるほどにその深み、
面白さ、に魅了される。
シ―サーの原型はエジプトのスフインクスと言われる。
このライオン像は中国を渡り、琉球にたどり着いた。
シンガポールのマーライオンのように、アジア全般で獅子像は
見られるが、左右対称で、対になっているとは限らない。
一方、狛犬は、同じオリエントの獅子像を起源としつつ、
仏教の守護獣となり朝鮮半島から、日本に入ってきた。
狛犬は朝鮮半島の高麗犬が原型という説もある。
日本の狛犬はシ―サーと同じ、左右非対称の場合が多い。
沖縄のシ―サーはオリエントのライオンを起源としながら、
朝鮮半島から日本経由の狛犬の影響を受けて、
創作されたと考えるべきだろう。
もう一つのシ―サーの特徴は、素焼きが基本であることである。
中国の影響で釉薬を使った陶器が増えているなかで、
赤い土色は瓦同様、沖縄の焼物を象徴する色である。
これは南洋を起源とする素焼きの土器と同じで、
1000℃以下の焼成温度で焼いたものである。
八重山地方のパナリ焼は、南洋の古い土器と同じく、
赤っぽい素焼きに近い土器であった。

やちむん(焼物)の歴史は、16世紀の琉球王朝時代に始まると
言われるが、南洋から伝わった土器の長い歴史があって、
はじめて開花したものであろう。
中国経由の獅子像、朝鮮日本経由の狛犬、南洋経由の素焼き土器、
この3つのルートがクロスしたのが、那覇の壺谷やちむん通りである。

シ―サー探しは、本来の美しさを探すうちに、多くの選択肢がでてきた。
現在、市街地での登り釜は都市計画法上、違法となり、
多くは読谷村などに移転したが、ギャラリーの多くはここが中心である。
窯元の作風の違いや、競合を生み出す状況は、観光のみならず、
文化継承にめぐまれた環境と言える。

Posted by Katzu at 15:46│Comments(0)
│歴史遺産環境
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