2012年02月27日
空飛ぶ石積み
今帰仁城の石積みを見て思い出したのは、
韓国の山城と南洋ポナペのナンマド―ル遺跡である。

今帰仁城

南漢山城(남한산성)

ナンマド―ル遺跡
石の種類は、層状石灰岩、安山岩、玄武岩でそれぞれ違いがあるが、
布積みのデザインにどこか共通点がある。
今帰仁城からは、高麗陶器、ベトナム陶器なども出土しており、
黒潮文化の広がりを感じる。

ナンマド―ル遺跡はグアムから東南東に1,600km、ミクロネシア連邦
ポンペイ(ポナペ)島の中心都市コロ二アの南東20kmの海岸沖にある。
Nan Madolとは“天と地の間”という意味がある。
92の人工島により造られた海上都市で“太平洋のベニス”と呼ばれたり、
“ムー大陸の遺跡”と騒がれたこともある。
満潮時に海上から船で渡るか、干潮時にだけ歩いて渡ることができる。

2,010年8月、ポンペイに行った際、コロ二アから車で南下した。
集落入口の家に通行料?を払い、陸から渡った。
膝までつかり、限られた時間は干潮時の2時間だけだった。
陶器の遺物を探すのが目的だったが、貝殻と石片しかなかった。
その石積みは5mほどの高さがあり、布積みと思われたのは、
柱状節理の玄武岩を使った、校倉構造の石積みであった。

柱状節理は国内でも見られるが、現在は希少で、
モニュメント以外には、建築資材として利用する機会は少ない。

この石は近くの海岸には見られない。
10tもある石を山から切り出した後、どう運んだのであろう。
舟で運んだという説もあるが、積みこむ手間、珊瑚礁のアプローチ難、
時間の制約を考えると、陸送の方が有利であろう。
最近、ピラミッドは水上輸送方法より、ソリと布の輸送方法の方が有力視されている。
現地の口承によると、支配者の兄弟のオロシ―ハが呪文を唱えると、
神々の力により、空から石が飛んできたと伝えられている。
南米や中国では、同じく空を飛んだ伝説が残り、
エジプトでは電磁場のようなもので運んだ話もある。

この遺跡は発掘調査によると、築造は西暦500年頃から始まり
1,600年頃まで続いたと言われている。
この時代は琉球のグスク時代と同じである。
それぞれの島は宮殿、祭事場、墓地などに分かれていた。
約70haに及ぶ広大な遺跡は、世界遺産ものであるが、
研究が進まず遺跡の詳細が明らかでないので、登録できない。
ポンペイは現地語で“石積みの上”と言う意味がある。
この他にもコロ二ア市内には、スペイン支配時代の城壁が残っているが、
銃窓のある乱積みの石積みであった。
ナンマド―ル遺跡の荘厳な重厚感とは異なる。

人々はウナギが遺跡と土地を守っていると信じている。
観光客も増え始め、隣接民地でも2重に通行料を求めるなどの
トラブルがではじめたという。
世界遺産登録などして、集落のキャパ以上の観光客が押し寄せ、
コミュニティが壊れる状況が目に浮かんでくる。
近くの集落には神聖なものとして守られたオオウナギが、悠々と泳いでいた。
村人は昼からサカオをすり、夜に覚醒し、悠久の時空を経験する。
静かにしてあげたい遺跡である。

韓国の山城と南洋ポナペのナンマド―ル遺跡である。

今帰仁城

南漢山城(남한산성)

ナンマド―ル遺跡
石の種類は、層状石灰岩、安山岩、玄武岩でそれぞれ違いがあるが、
布積みのデザインにどこか共通点がある。
今帰仁城からは、高麗陶器、ベトナム陶器なども出土しており、
黒潮文化の広がりを感じる。

ナンマド―ル遺跡はグアムから東南東に1,600km、ミクロネシア連邦
ポンペイ(ポナペ)島の中心都市コロ二アの南東20kmの海岸沖にある。
Nan Madolとは“天と地の間”という意味がある。
92の人工島により造られた海上都市で“太平洋のベニス”と呼ばれたり、
“ムー大陸の遺跡”と騒がれたこともある。
満潮時に海上から船で渡るか、干潮時にだけ歩いて渡ることができる。

2,010年8月、ポンペイに行った際、コロ二アから車で南下した。
集落入口の家に通行料?を払い、陸から渡った。
膝までつかり、限られた時間は干潮時の2時間だけだった。
陶器の遺物を探すのが目的だったが、貝殻と石片しかなかった。
その石積みは5mほどの高さがあり、布積みと思われたのは、
柱状節理の玄武岩を使った、校倉構造の石積みであった。

柱状節理は国内でも見られるが、現在は希少で、
モニュメント以外には、建築資材として利用する機会は少ない。

この石は近くの海岸には見られない。
10tもある石を山から切り出した後、どう運んだのであろう。
舟で運んだという説もあるが、積みこむ手間、珊瑚礁のアプローチ難、
時間の制約を考えると、陸送の方が有利であろう。
最近、ピラミッドは水上輸送方法より、ソリと布の輸送方法の方が有力視されている。
現地の口承によると、支配者の兄弟のオロシ―ハが呪文を唱えると、
神々の力により、空から石が飛んできたと伝えられている。
南米や中国では、同じく空を飛んだ伝説が残り、
エジプトでは電磁場のようなもので運んだ話もある。

この遺跡は発掘調査によると、築造は西暦500年頃から始まり
1,600年頃まで続いたと言われている。
この時代は琉球のグスク時代と同じである。
それぞれの島は宮殿、祭事場、墓地などに分かれていた。
約70haに及ぶ広大な遺跡は、世界遺産ものであるが、
研究が進まず遺跡の詳細が明らかでないので、登録できない。
ポンペイは現地語で“石積みの上”と言う意味がある。
この他にもコロ二ア市内には、スペイン支配時代の城壁が残っているが、
銃窓のある乱積みの石積みであった。
ナンマド―ル遺跡の荘厳な重厚感とは異なる。

人々はウナギが遺跡と土地を守っていると信じている。
観光客も増え始め、隣接民地でも2重に通行料を求めるなどの
トラブルがではじめたという。
世界遺産登録などして、集落のキャパ以上の観光客が押し寄せ、
コミュニティが壊れる状況が目に浮かんでくる。
近くの集落には神聖なものとして守られたオオウナギが、悠々と泳いでいた。
村人は昼からサカオをすり、夜に覚醒し、悠久の時空を経験する。
静かにしてあげたい遺跡である。

Posted by Katzu at 20:58│Comments(0)
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