2012年04月12日

清明の海

清明の海
 シーミーの時候、沖縄の海は春の大潮を迎える。
有名な宮古島の八重干瀬は、幻の大陸と言われるほど
大きな干潟が出現する。
海では生物の営みが活動的になり、
水温が25度を越えるとサンゴの産卵が始まる。
先月の浜下りの日は天気が悪く中止になったが、
清明は晴れが続いた。

清明の海

 干潮の正午過ぎに海に出て、海中道路の元ルートを歩く。
藪地島と平安座島の間には巨大な陸地が出現していた。
しかし、干潟で海アサリをする地元の人はひとりもいなかった。
かつて屋慶名の浜下りには3,000人も集まったという。
ここは海中道路の元道として島民が海を歩いていたところである。
現在のルートは1971年に、ガルフ社がCTS基地のために、
勝連城の周囲の城壁の石を栗石に、周囲のサンゴをかき集め、
強行築造、完成されたものである。
現在も海中道路には当時のサンゴの残骸が多く見られるが、
海中のサンゴはほとんど死滅している。

 残った干潟には魚がいなかった。
この広大な陸地をよく逃れるものだと感心する。
わずかな海流の動きを感知して行動するのだろう。
この辺は2年前にUMA(未確認生物)騒ぎになった、
座礁したマッコウクジラが打上げられた箇所でもある。

清明の海

 かつての豊潤な海は、車エビ、シャコ貝、ウニ、モズク、
シロイカなどが捕れたという。
現在は海藻類がある程度でフノリ、ホンダワラ、アオサ、リュウキュウカサ
などがあり、他に小さな再生したサンゴが少し見られる程度であった。
海草はジュゴンのえさであるリュウキュウスガモ、アマモも多い。
周辺ではジュゴンの食べ跡も確認されているが、本体は写真に収められていない。

清明の海

 海峡は川となり流れていた。
干潮時は橋で海水は行き来するが、満潮時の海水の流れは
海中道路で遮断されてしまい、海の環境はすっかり変貌してしまった。
70年代に自然環境のモニタリングをすることも、その後の教訓にすることもなく、
その後全国で、干拓事業が進んでしまったことは残念でならない。

清明の海

 誰もいない清明の海は、生類の殺傷を禁じてる為なのか、とも思われたが、
帰りの照間ビーチは、家族づれで海アサリを楽しむ人が大勢いた。



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Posted by Katzu at 10:45│Comments(0)海の環境
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