2015年03月15日
辺野古に想う

辺野古漁港の岬には拝所と祠があり竜神様が祭られている。
ここからキャンプシュワブの海岸と施設を一望に見渡すことができる。
これからも竜神様はずっと、海と人同士の戦いを見続けることだろう。

基地の砂浜は観光客が入れず、ジュゴンの餌場と海ガメの産卵地として
有名で、駐留米軍の揚陸訓練を自粛する意見が移転計画前からあった。
現在も基地移設反対運動は継続し、沖縄県の総意として基地反対の
意志は変らず、県内で関連ニュースが途絶える日はない。
逮捕者が出ると名護警察署に反対者が大挙駆けつけ抗議の声を上げる。

内地に戻り感じるのは、それを取り巻く環境の変化と意識のズレである。
株価の上がった東京では、日本の為に仕方なく腫れものにさわるような
何かを、雪の東北では異国の話のように感じてしまう。

ネットの書き込みからは、中国への対抗措置、反対者は左翼と地権者、
ジュゴンの価値...真実から逃れる態度と差別意識に暗欝たる気分になる。
振り返ると、明治政府の琉球処分によるマイノリティに対する態度と、今も
歴史認識不足は変わらず、隣国の主張と同じことを自問すべきだと思う。
2010年、普天間基地のグアム移転計画が進まず、パラオのアンガウル島が
移転候補の一つに上がり、地元の州議会で受入れを表明したことがあった。
一方、パラオにはジュゴンを研究・保護を指導するボランティア仲間もいて、
北限の母国で行われようとしている行為に対し弁明する余地はなかった。

2003年、沖縄の環境ネットワークは、良識あるアメリカの研究者と共に、
既に米国務総省を相手にジュゴン訴訟を起こしていた。
この訴訟は棄却されたが、この課題をひも解くのは政治の問題だけでなく、
市民環境保護活動であることは明白で、その早い着眼点は敬服に値する。
海外から見る沖縄の海は、恥ずかしいほど気の毒な故国の海だった。

年末、サンフランシスコで純粋に自然保護活動をする人に対し
辺野古の話をする機会があったが、同情はされても自国の戦争犯罪を
認めさせるような雰囲気になりむしろ可哀そうな気がした。
2年間名護に住んで基地移転問題に関して気付いたことはたくさんある。

普天間を人質のように取られながら県民が基地反対に傾いたのは、
海の環境保護活動を子供の教育に取り組んできた若い親達と海の
観光関係者をすべて敵に回してしまった結果でもある。
揚陸の為の海兵隊なら、戦略的にも国境に近く未使用空港の多い離島の
方が現実的であるが、本島の辺野古が選択されたのは、駐留軍に便利で
住み良い環境を提供し、住んでいただくという不条理の理屈がある。

大浦湾の対岸に立つと、立入り禁止ブイがすぐ近くまできていることに驚く。
環境影響評価する立場で考えると、明らかに影響の及ぶ範囲を想定し、
民間のモニタリングができないように立入り禁止にしたと容易に推測できる。
ブイの向こう側にいたかもしれない過去の自分に照らし合わせ自問してみる。
大学時代、コンサルのバイトで沖縄の離島交通の計画調査を手伝った時、
基地の弊害をどこまで理解しようとしただろうか?
20代、もし基地のアセス調査、基本計画を担当したら、地形改変の重大性を主張できただろうか?
30代、もし基地の基本設計を担当したら、周辺海域への影響が甚大であることを伝えられただろうか?
40代、もし基地の造成計画と設計を担当し、地質調査を依頼する立場になったら、工事の影響について隣接住民への理解と説明を真摯に行えただろうか?
50代、基地の関連施設の工事に関する許可申請や取付道路の設計をけれん味なく手伝えるだろうか?
一旦仕事を受託すると、家庭や会社や業界への責任にしばられ、とてもNOと言える状況ではなかった。
50代、ようやく要らないもの、危険なもの、悪いものは悪いと判断しNOと言える年代に辿り着いたと感じる。
Posted by Katzu at 12:44│Comments(0)
│海の環境
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