2013年03月02日

泰緬鉄道とアジアサバンナ

 泰緬鉄道とアジアサバンナ

 泰緬(たいめん)鉄道は、太平洋戦争中に日本陸軍がタイ(泰)と
ミャンマー(緬甸・ビルマ)を結ぶために造った鉄道である。
この路線は、韓国の釜山を起点にした大東亜縦貫鉄道構想の一部であった。
戦争捕虜と近隣諸国からの20万人が招集され、強制労働により1年間の突貫工事で
完成したが、半数の約10万人が栄養失調やマラリヤで死亡したと言われる。
欧米ではDeath Railwayとして知られ、映画『戦場にかける橋』で有名になり、
現在も欧米人の観光客が絶えない。

泰緬鉄道とアジアサバンナ

 このルート選定には旧宗主国のイギリスが、5ルート案を検討していたが、
いずれも国境の山地と厳しい気候風土のため断念した。
日本軍がなぜこの渓谷ルートを選んだのか、航空写真で確認すると、
タイ・ミャンマーの最短ルートにあたるものの、無駄な迂回路が多く
その計画・設計に興味が湧いた。
現在、国境付近は閉鎖されているが、ミャンマーの民主化により、
この路線を再整備することが決定している。

 タイの起点トンブリ駅から、現在の終点ナムトック駅までタイ国鉄に乗った。
雨季が始まる前のこの地域は乾季のピークで、世界中で最も気温が高くなる
アジアサバンナ気候帯に属する。この日も朝からすでに30℃を越えていた。
トンブリ駅は南部西部路線の起点であるが列車本数も少なく、
ナムトク駅までは1日2便だけである。
駅はこれが首都の起点かと思うと驚くが、ローカル色あふれるこぎれいな駅である。
都市の渋滞緩和対策にもならず、市内のMRT構想から忘れ去られた感があるが、
次の時代はこの駅周辺の再整備が、バンコクの都市開発のキ―になるだろう。

泰緬鉄道とアジアサバンナ

 この駅は、通勤時間帯にもかかわらず、ラッシュというものが感じられない。
朝7時50分発の列車は観光列車であるが使い古された車両で、座席の傾き、
窓の破損は当たり前で、便所は各車両についているが鍵が壊れている。
検査員が打音検査を、しかも乗客の待つホームで行っている。
10分遅れで、ほぼ正確に出発。1時間遅れということもあるらしい。
懐かしさを通り越した時代のイメージである。

泰緬鉄道とアジアサバンナ

つい最近まで蒸気機関車が走っていたが、途中駅には日本製のC56が展示してあった。
バンコク市内を30分もすぎれば農村風景が広がる。

泰緬鉄道とアジアサバンナ

この季節は、最もタイらしい黄色のラーチャブルックの花の咲く季節で、
街路樹でつらなる駅の歩道は美しい。どの駅も決して派手ではないが、
綺麗に飾ると言う基本的な心が見えてうれしい。

泰緬鉄道とアジアサバンナ

勾配のない平地は、池と田園が一体となって用排水が行われる。
半島内部に向うに従い、ラテライトの赤い土に変わっていく。

泰緬鉄道とアジアサバンナ

海岸線を離れると大陸のサバンナ気候帯特有の乾燥した地域になり、
ホコリが熱風と一緒に車内に吹き込み、チリや種子で床が一杯になった。
マスクをする乗客もおり、PM2.5の騒ぎを思い出す。

泰緬鉄道とアジアサバンナ

西オーストラリアからベンガル湾にかけて、あと3週間この状態が続けば、
乾燥火災、干ばつの危険性が高まるだろう。

 列車は2時間後、山岳鉄道の起点となるカンチャナブリ駅に到着し、
ここからは難工事区間に入る。観光地のクワイ川鉄橋からは、
多くの外国人観光客が乗りこみ混雑し始める。
車内は様々な人種がいるが、日本人は戦争犯罪者のようなアウェー感のためか、
ツアーは疎遠となり、日本人の乗客は4~5人程度であった。

泰緬鉄道とアジアサバンナ

 この山界は、花崗岩からなる岩石の大地で、手掘りでここを切り裂くのは容易ではない。
恐らく路線の選定は、工事しやすい箇所を現場で補正しながら進んだものと思われる。
ここは直線でいける思っていた区間は、荒涼とした岩の大地であった。
橋梁は当時のままで、最短橋長を選んでいるため、
切り通しと橋梁のカーブが連続する設計になっている。
現代の重機があれば、トンネルと橋梁の連続する直線区間になるだろう。

泰緬鉄道とアジアサバンナ

 標高は100m程度で涼しいという感覚は全くなく、湿気を含む空気はむしろ重く暑く感じる。
これからさらに北部のミャンマーに進むにつれ、気温が上がることを想像しただけで、
気が遠くなってくる。
座っているだけで血液が暑くなるのを感じるほどの極暑の地で、
突貫工事をする狂気は、だれが計画示唆したものか。
日本陸軍はインパール作戦の遂行のため建設を急ぎ、
軍のシステム自体にも無理があったのだろう。

泰緬鉄道とアジアサバンナ

 最終駅に着いたのは30分遅れの午後1時過ぎ、
切符を買って便所にいたら汽笛が聞こえ大急ぎで飛び乗った。
この先は急峻な渓谷が続いていた。
午後にはさらに気温が37℃を越え、4時間ほこりまみれの熱風を受けながら本を読んでいた。
雨季にはいる前に早くビルマに行こうとした自分と、当時の日本軍のあせりの行動が
同じ場所、同じ季節にあることに気がついた。

帰りはバンコク近郊で、列車通過待ちで1時間ほど停車。結局2時間遅れで暗い駅舎に到着した。
アジアサバンナと戦争犯罪を、熱風で一気に飲み込んだような1日になった。

泰緬鉄道とアジアサバンナ



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Posted by Katzu at 01:42│Comments(0)アジア
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