2014年08月05日
歴史から忘れられ甦った人々
台湾には14分類される少数民族がいる。 台湾原住民族委員会
戦前は日本の民族学者が高砂族として10分類し調査したことが、現在も貴重な研究資料として残る。
台湾アボリジニは、近年の人類学では最も注目されている民族である。
(※認定部族は増え続け、カナカナブとサアロアを加え16部族になると先月報じられた。)

長年の学説では、モンゴロイドは北極から南アメリカに到達し南太平洋にまで派生したとされてきた。
しかし、最近では台湾から南米のイースター島に至る広大な太平洋を移動し住み着いた海洋民族を、
オーストラロイドという固有の人種として認識されている。
人類の起源のアフリカに対峙する第4の人類と言われる所以である。

国立台湾博物館
その起源となる台湾アボリジニであるが、古琉球人との関わりが見つかれば
海洋民族と文化の新しい視点が生まれるだろう。
そのあらましは、本部町の海洋博公園内の海洋文化館で体感することができる。

台湾アボリジニは清朝、日本、国民政府の統治・迫害を経て、忘れ去られた彼方から
甦り、今では台湾のアイデンティティとさえ言われている。
台湾は、琉球からビルマ、ブータンに至る広大な亜熱帯シャングリラ圏の一部にある。
その台湾南東部の原住民部落(台湾語表現)では、この時期に豊年祭が行われる。
南部から排湾族、魯凱族、布農族、卑南族、阿美族、雅美族などの各部落を半年がかりで北上する。
さらに八重山、沖縄に渡り、各豊年祭や種取り祭などに引き継がれると想像できる。

台東県の公的パンフレットでは、県内で130もの原住民部落の豊年祭、収穫祭が予定され
南島祭儀交流として公開されている。 2014台東南島文化節
一見観光行事のように感じられるが、その趣旨は各部族の交流と相互理解が目的である。
世界の戦争問題の多くは民族問題から発展したものであり、異文化異民族を
理解することが国を安定させ統治する第一歩となる。
7月の半月間、おおよそ10部落を巡り、4部族5部落の豊年祭を見てまわった。
部族規模、集落規模、就業形態、海と山、その他社会条件により祭りの内容は
各部落ごとに違っており、単純に総括することはできない。
踊りや食事の輪に招待される祭りや、カメラさえ入れない祭りもあった。
まさに、祭りの色合いは百花繚乱で、その形態は百家争鳴の祭りであった。

魯凱(ルカイ)族の台東縣卑南郷 達魯瑪克(タロカイ)部落の豊年祭を例にあげる。
集落は台東市の西18km、利嘉渓のほとりにある。
集落入口には立派な鉄平石で組んだ門がある。

会場は運動広場にあり、迎賓はテントの中で祭りの場には入ることができない。

祭事の中心部には20mほどの4本竹を組んだものが建てられている。

海にも近いが、山で猟をする部族であり、鉄砲の号砲で開始が告げられる。

祭りの始まりは婦人会の踊りで、曲はバハマラマのディスコだった。
パラオなどの南洋州の祭りと全く同じ雰囲気である。
次は日本語の盆踊りであった。たしか九州の歌だが思い出せない。

その後男衆が出て輪になり踊り始める。
その輪はだんだん力強く大きくなっていく。
アメリカ南部のスクエアダンスとアボリジニダンスをあわせたようなスタイルであった。

その後、男女が集まり交代でブランコをゆすり始めた。
4本の高い竹のやぐらはそのためでもあった。

衣装は赤黒を基調に、頭の装飾は鳥の羽と獣牙が添えられている。
かつての首狩り族のニューギニアの少数民族との共通性が見られる。
祭りは、様々な時代とともに変化しながらも明らかに南洋文化を引き継いだ魂があった。

会場の隅には相撲場のあとがあった。
隣の老婦人にそのことを日本語で尋ねると、『柔道の訓練だった』と言っていた。
対岸に渡ると、暴れ川であろう川の改修工事のバックホーの音にかき消されながら、
祭りはずっと続いていた。

この集落は自然災害の起こりやすい山峡の入口のわずかな土地に、
山の幸を得るための拠点を構え、敵の侵入に対しては四方に散らばれる地勢にあり
生き延びてきたのだろう。あるいは、いつの時代にか海を追われ、
山の民に身を隠しながら、理想郷を見出したのかもしれない。

原住民の森の生薬が、現代人の多くの疫病の特効薬となったように、
アボリジニの集落形態や生活文化が、現代の環境問題を紐解く特効薬となるかもしれない。
達魯瑪克部落位置図
戦前は日本の民族学者が高砂族として10分類し調査したことが、現在も貴重な研究資料として残る。
台湾アボリジニは、近年の人類学では最も注目されている民族である。
(※認定部族は増え続け、カナカナブとサアロアを加え16部族になると先月報じられた。)

長年の学説では、モンゴロイドは北極から南アメリカに到達し南太平洋にまで派生したとされてきた。
しかし、最近では台湾から南米のイースター島に至る広大な太平洋を移動し住み着いた海洋民族を、
オーストラロイドという固有の人種として認識されている。
人類の起源のアフリカに対峙する第4の人類と言われる所以である。

国立台湾博物館
その起源となる台湾アボリジニであるが、古琉球人との関わりが見つかれば
海洋民族と文化の新しい視点が生まれるだろう。
そのあらましは、本部町の海洋博公園内の海洋文化館で体感することができる。

台湾アボリジニは清朝、日本、国民政府の統治・迫害を経て、忘れ去られた彼方から
甦り、今では台湾のアイデンティティとさえ言われている。
台湾は、琉球からビルマ、ブータンに至る広大な亜熱帯シャングリラ圏の一部にある。
その台湾南東部の原住民部落(台湾語表現)では、この時期に豊年祭が行われる。
南部から排湾族、魯凱族、布農族、卑南族、阿美族、雅美族などの各部落を半年がかりで北上する。
さらに八重山、沖縄に渡り、各豊年祭や種取り祭などに引き継がれると想像できる。

台東県の公的パンフレットでは、県内で130もの原住民部落の豊年祭、収穫祭が予定され
南島祭儀交流として公開されている。 2014台東南島文化節
一見観光行事のように感じられるが、その趣旨は各部族の交流と相互理解が目的である。
世界の戦争問題の多くは民族問題から発展したものであり、異文化異民族を
理解することが国を安定させ統治する第一歩となる。
7月の半月間、おおよそ10部落を巡り、4部族5部落の豊年祭を見てまわった。
部族規模、集落規模、就業形態、海と山、その他社会条件により祭りの内容は
各部落ごとに違っており、単純に総括することはできない。
踊りや食事の輪に招待される祭りや、カメラさえ入れない祭りもあった。
まさに、祭りの色合いは百花繚乱で、その形態は百家争鳴の祭りであった。

魯凱(ルカイ)族の台東縣卑南郷 達魯瑪克(タロカイ)部落の豊年祭を例にあげる。
集落は台東市の西18km、利嘉渓のほとりにある。
集落入口には立派な鉄平石で組んだ門がある。

会場は運動広場にあり、迎賓はテントの中で祭りの場には入ることができない。

祭事の中心部には20mほどの4本竹を組んだものが建てられている。

海にも近いが、山で猟をする部族であり、鉄砲の号砲で開始が告げられる。

祭りの始まりは婦人会の踊りで、曲はバハマラマのディスコだった。
パラオなどの南洋州の祭りと全く同じ雰囲気である。
次は日本語の盆踊りであった。たしか九州の歌だが思い出せない。

その後男衆が出て輪になり踊り始める。
その輪はだんだん力強く大きくなっていく。
アメリカ南部のスクエアダンスとアボリジニダンスをあわせたようなスタイルであった。

その後、男女が集まり交代でブランコをゆすり始めた。
4本の高い竹のやぐらはそのためでもあった。

衣装は赤黒を基調に、頭の装飾は鳥の羽と獣牙が添えられている。
かつての首狩り族のニューギニアの少数民族との共通性が見られる。
祭りは、様々な時代とともに変化しながらも明らかに南洋文化を引き継いだ魂があった。

会場の隅には相撲場のあとがあった。
隣の老婦人にそのことを日本語で尋ねると、『柔道の訓練だった』と言っていた。
対岸に渡ると、暴れ川であろう川の改修工事のバックホーの音にかき消されながら、
祭りはずっと続いていた。

この集落は自然災害の起こりやすい山峡の入口のわずかな土地に、
山の幸を得るための拠点を構え、敵の侵入に対しては四方に散らばれる地勢にあり
生き延びてきたのだろう。あるいは、いつの時代にか海を追われ、
山の民に身を隠しながら、理想郷を見出したのかもしれない。

原住民の森の生薬が、現代人の多くの疫病の特効薬となったように、
アボリジニの集落形態や生活文化が、現代の環境問題を紐解く特効薬となるかもしれない。
達魯瑪克部落位置図
Posted by Katzu at 23:36│Comments(0)
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