2014年08月13日

山の民の個性的な集落

 台湾でよく目にするFORMOSAとはポルトガル語で美しいを意味し、
美麗島という観光キャンペーンにもよく登場する。
西洋人の見たアルカディア(理想郷)にも共通するが、台湾の桃源郷は
集落単位で特徴があり、少数民族の違いが色濃く反映されることも多い。

山の民の個性的な集落

 卑南郷初鹿は、台東市郊外の牧場や果樹園のある丘陵地帯にある。
プユマ族の各部落の豊年祭は終わりに近づき、最後の会場を探していた。
街道のおじいさんに尋ねると、『小学校』と指さし、笑顔で教えてくれた。

山の民の個性的な集落

しかし、祭りをやっている様子はなく、近くの警察署に尋ねると
ようやく内容を理解してくれたが、3人の署員は誰も場所さえわからなかった。
日本の交番のように、地域密着型の親切な公安組織は珍しい。
祭りの太鼓や踊りの唄も聞こえず、人の気配のない所に会場はあった。
しかも祭りは期間の中日でありながら、既に昼前に終わり清掃されていた。
プユマ族は都市近郊に居住しているため、日本の集落の祭りと同じく
継続性の問題か、祭りを復活し形式化させる段階なのかもしれない。

山の民の個性的な集落


国道を北上し河を渡れば布農部落の領域となるが、延平林道をひたすら奥山に進み、
この日の対象を山岳地のブヌン族の村に変更した。

山の民の個性的な集落

その途中、地区の入り口に野球の像を踊り手が支えるモニュメントが目を引いた。
急峻な渓谷は豪雨により、台東紅葉温泉の湯源が埋まり休業中であった。

山の民の個性的な集落

さらに急坂を登り、たどり着いたのが紅葉村であった。

山の民の個性的な集落

標高500mほどの高原に粟、モロコシ、イモの農地が広がる農村で、
街道沿いに十数戸程の家が張り付いている。

山の民の個性的な集落

村の中心は紅葉国民小学校で、その隣には紅葉少棒記念館がある。
紅葉少年野球チームは、1968年当時世界一になった和歌山調布チームを
訪れた台湾で破ったことが大変な話題となり、台湾の野球ブームに火をつけ、
その後地元有志の努力により完成したものである。

山の民の個性的な集落

破れたミットやボール、カップや表彰状など、野球が貧しい時代の希望だった証しが展示されている。
グランドは野球をするほどの広さはないが、敷地内には新しく立派な野球宿舎があった。

山の民の個性的な集落

野球は日本統治時代に教えられたものであるが、今ではブヌン族の誇りとさえ言われる。
文字通り少年野球が村のシンボルとなっている。

山の民の個性的な集落

台湾の野球熱は民族に隔てなく立身出世と栄誉を与えられることで、政府も後押ししている。
有名選手は社会的な尊敬を受け、各地には記念館やパネル展を良く見かけた。

山の民の個性的な集落
             台東鉄道文化園

ブヌン族は現在も玉山の守護者を名乗り、日本統治時代は、大東亜共有圏の中で
終戦間際まで最も悩まされた最強の狩猟部族であった。
その魂は失われることなく戦うスポーツに引き継がれている。


山の民の個性的な集落

台湾には桃源という地名が多く、山を下りた隣村の名も桃源であった。
桃源郷を目指した村の街並みは、各戸の門と表札が統一されており、名はアルファベットであった。
村のシンボルもカエルや妊婦の像があり、ブヌン族の古い伝説が多様で個性的である証拠である。

山の民の個性的な集落


ブヌン族の収穫祭の期間は既に終わっており、教会が経営する布農部落農場に向かう。

山の民の個性的な集落

観光施設内の劇場公演は終わりかけ、工房、売店だけ営業していた。

山の民の個性的な集落

バックで聴こえる『八部和音』の合唱は力強く美しく、ブヌン族の唄が
ワールドミュージックとして高い評価を受けるきっかけとなった。
少数民族の観光施設化とショービジネスには批判もあるが、伝統が失われるより、
生活が維持され、少数民族を理解する人が増えれば良しとしなければならない。

山の民の個性的な集落

ブヌン族が最も過酷な環境に追いやられた部族であることが、
最少人口の村で、純度の高い個性的な文化を育んでいる。

山の民の個性的な集落

             紅葉部落位置図



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Posted by Katzu at 02:30│Comments(0)アジア
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