空手と三線とジュゴン

Katzu

2018年02月05日 17:11

沖縄を読み解く三つのキーワードとして語られてきたもの。
島の精神性を伝え、島を救うキーワードとさえ言われてきた。



 東京オリンピックの正式競技となり、以前に増して注目される琉球空手。それは相手より優位に立つ前に、自分をよく知り相手を見て受ける行為を身に付けることから始まる。琉球空手はK1的なフルコンタクトの格闘とは違い、型を何度も何度も繰り返す鍛錬が重要となり、その型は先制攻撃に対する受けと最後の一撃を食らわすための隠れた技と気迫を表現することが求められる。
5年前に半年だけ習っただけだが、今も我が身のためになったものは計り知れない。久しぶりに胴着をベランダに天日干しし、袖を通し三戦(さんちん)で風を切る音を出すだけでまた身が引き締まる。



 琉球空手は薩摩により武器を禁じられた島民が身に着けた平和的な解決手段で、黒人奴隷が踊りを模して秘匿したブラジルのカポエイラ、宗教的解釈により武闘化した少林寺拳法などにも通じるものがある。空手はEmpty Handと説明されるが唐から伝わった手(てぃー)が基になっている。今のご時世、インドの格闘技が起源と説明する流派もあるが、文化大革命で過去の歴史を封印されたものより、むしろグローバルに発展した琉球空手として確固たる地位を築いたと見るべきだろう。



空手道は道半ばでも一度習った流派、師匠は変えられず、その師弟関係とコミュニティは続いていく。空手に興味を持つ外国人も増え、英語でコミュニケィトする先生も増え、今や道場はグローバルな場となっている。上地流の開祖上地完文は本部出身でその住居跡が八重岳の中腹にある。空手の聖地になっていると思いその地に行ったが、宗教施設の一角の海を遠望できる平穏な地に指標だけが残っていた。





 はじめて八重山に行った時、月明かりの砂浜から歌三線のトゥバラーマが聞こえてきた。自然の中の音と感性が交わった初めての体験で、今もあの感動は忘れられない。何度も八重山を中心とした島を訪れる度に、三線を教えてもらった。幼い頃からその音に接している感性と経験値から、うまい下手・年齢は関係なく全ての地元の歌者は先生であった。それはレッスンや学校教育とは関係のない、体で覚えた弾き方、楽譜、三線の扱いに至るまで個人個人で異なり、プロアマの境界もよくわからなかった。




島の祭りや民謡大会に接するとさらに、島の自然と生活と音楽との関わりがあまりにも美しかった。島の歴史や催事を辿り世界を巡ると、このような唯一無二の歌と踊りの豊かな島々は他に類を見ないことが分かった。

沖縄本島に移り住むと、その事情は少し違って見えた。戦後疲弊した人を癒した心の糧は民謡と舞台であり、そのシンボルは唄とリズムを奏でる三線であった。沖縄民謡界は多くのヒットとスターが生まれ、生業としての音楽が成立し、各団体としてセクト化して行った。




歌は世につれ、世は歌につれ。
いつしか、都市生活の中での三線の役目は変わり、教育と観光のバックグランドに追いやられた。人口浜となった海辺から毛遊びは消え、祭事以外に自然の中で三線の音は響かなくなった。聞こえてくるのは、初心者の観光客程度で、駐車場の車の中で練習する地謡さえいた。しかし、旧盆や豊年祭に聞こえてくる三線の音は沖縄そのもので、そのアイデンティティは失われることはない。

三線を暖かく湿った海辺とは真逆の、寒く乾燥した雪原で弾くと、音は澄み響きすぐに消え去るという不思議な感覚を体験した。同じ亜熱帯の東南アジアの各地で三線に似た音色を聞いた。サンパウロでは伝統と血統を守り伝えようとする人々がいた。
沖縄民謡は明らかに外の世界に向かっている。




 ジュゴンは、沖縄を北限とする国の天然記念物で、主に宮古・八重山地方と本島の辺野古から古宇利島にかけてのやんばる地域に数頭確認されているのみである。クジラとともに海の生態系の哺乳類の頂点に君臨し、琉球王朝時代から特別の存在として崇められてきた。
八重山のパナリ島ではザンという名で祀られ、聖域の神社は現在も立ち入り禁止となっている。石垣島星野ではジュゴンが明和の大津波の時に現れ村人を救った人魚伝説が残っている。
沖縄のジュゴンは、全国にある各地域の街づくりのシンボルとしてのタンチョウ、クマタカ、トキ、コウノトリ、カワウソ、クロウサギ、ヤマネコなどと同じか、それ以上の神格化した存在である。




図らずもジュゴンが沖縄の海の環境を守るシンボルとして再び注目されたのは、辺野古の埋め立て問題である。沖縄の特異な歴史と環境を顧みれば、島民の心に響くのは当然のことであろう。

環境アセスメントの評価では、生態のわからない動物の保護などコンサルタントが提示できる訳がなく、工事が進めば貴重なアオサンゴのサンゴ礁だけでなくジュゴンの餌場が失われることになる。

 名護に住んで感じるは、体制のいじめと差別の構図の中で、基地は反対だが生活は豊かになりたいというのが多くの市民の本音であり、決して基地問題が解決したわけではない。このままでは、日米安保が国指定の天然記念物のジュゴンを絶滅させたという事実とともに、長い目で見れば、過去と同じ遺恨の歴史を残したことになるだろう。 (名護市長選の翌日に)



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