沖縄の海の季節は、旧暦の3月3日(4月21日)の浜下りの日を過ぎてからで、
連休の観光客の奇異な姿とハーリーが、夏を意識する初めの出来事である。
それ以前の冬の沖縄は、西高東低の気圧配置で東北で雪が降ると、
沖縄にも冬の北風とともに寒気団が到来し、本土との一体的な冬を感じる。
オホーツク寒気団が通り過ぎ、シベリア寒気団が太平洋に張り出すためで、
冬の天気予報は日本本土の気圧配置を強く意識することになる。
1609年3月末、この北風を利用してやってきたのが薩摩藩で、
明治政府の琉球処分による琉球王朝の滅亡につながるきっかけとなった。
2015.2.09 気象庁HP
4月に入ると、太平洋高気圧の影響が徐々に現れはじめる。
1年を通じて咲くハワイとアフリカ原産のハイビスカスに混じり、
マレー原産のデイゴが開花する頃、天気予報の視点は南洋に転じる。
南からの風が吹き、梅雨前線を押し上げ、台風が襲来し始めるためである。
1945年4月1日、ミクロネシア、フィリピンを出発した米軍は
慶良間諸島から西海岸の読谷村に上陸した。
台風が本格化する前に急いだためと言われる。
アメリカはその100年以上前から、小笠原諸島に捕鯨船団を送っており、
1853年5月、ペリー艦隊は捕鯨通商のためシンガポール経由で訪沖し
その後、浦賀から太平洋を横断して帰国している。
2015.5.19気象庁HP
台風は致命的な被害をもたらす一方で農業に欠かせない雨を運び、
黒潮は大洋州や東南アジアから多くの生活慣習・生物を運んできた。
台風後に打ち上げられたヤシの実を見るたびに、日本民俗学を
確立した柳田國男の海南小記の話を思い出す。
亜熱帯海洋性気候は、湿度が高く気温差が少ない点に特徴があり、
昼の熱気が継続する夏の夜は長く、南洋での生活を思い出す。
大陸からの偏西風は1年を通して高層を流れ、春から秋にかけて訪れる
大陸性移動高気圧が、大陸からの多くの富と文化を運んできた。
那覇市福州園
7月頃に大陸からの偏西風に乗ってやってきた冊封使の歴史は、
14世紀から始まり清・民時代を通し500年近くも続き、
琉球の経済・文化に多大な影響を与えた。
アオスジアゲハが波打ち際で、漂流物に混じり海水をなめていた。
この蝶は中国南西部、台湾から東北地方の日本海側に至る広大な地域で見られ
アジアの温帯域に広がるシイやカシ類の照葉樹林帯を中心に生息している。
東アジアの気候区分を改めて見ると、沖縄は、日本(温暖湿潤気候)、
南中国(温暖少雨気候)、太平洋(熱帯モンスーン気候)のはざまにあり、
それぞれの大国の侵略や経済の思惑の中で、人種が交錯し
歴史に翻弄され続けたように見える。
Köppen Climate Map 詳細
しかし、その不運な立場を転じて、海外からの視点に立って見れば、
この地域がいかに大きなポテンシャルを持った地域であることがわかる。
気候区分が変わる境界付近には、香港、ムンバイ、イスタンブール、リオデジャネイロ、
リマ、サンフランシスコなどの独自に発展した世界都市がある。
さらに、民族的にケルト、ゲルマン、ラテンに囲まれたルクセンブルグ、
アジアの交易の中心となったシンガポールは、沖縄と立ち位置のよく似た
小さな独立国だが、現在は世界有数の豊かな国となっている。
沖縄に暮し、四季を感じるようになると見えてきたもの。
それは、物が変わろうと、人が変わろうと、国が変わろうと、
不変的に受け継がれるもの、なのである。
今年の台風発生は例年よりも多く、台風7号が梅雨前線を押し上げ
19日に奄美が梅雨入りした。沖縄では台風6号が去った後は特に雨もなく
夏日続きだったが、本日梅雨入りが発表された。
奄美が先に入梅する例は過去に数回あり、いずれも少雨となり干ばつが懸念される。