沖縄本島改造の行方

Katzu

2015年06月09日 01:00

 沖縄で返還される米軍基地は、1000ha以上が予定されている。
日本の市街地の45%が土地区画整理事業により形成されたことを前提に
公園緑地を含めすべて開発されると仮定すると、その開発はバブル以前の
70年代列島改造の時代の事業量に匹敵するだろう。

戦後、米駐留軍は平坦な開発適地を接収し基地化したために、
住民は丘陵地まで狭小住宅地を拡大し、市街地はスプロール化した。



多くの基地の返還により、都市の足かせが取れ、
ようやく本来の街づくりが始まったとも言える。
20年後には、本土並みの宅地空間、公共空間が整うだろう。

返還される普天間基地から瑞慶覧に至るエリアが開発されると、
新しい中南部の都市軸が生まれ、海浜エリアの拡大も含めた
沖縄の都市構造は大きく変わる。



 その先陣を切って、イオンモールライカムがオープンした。
売り場面積7万8千㎡は国内有数で、初日の開店前には
1万1千人が並んだというほど地元の関心は高い。



モールが含まれるアワセ土地区画整理事業地は、面積48ha、減歩38%、
本土同様の優良な住宅地も供給され、計画人口は1000人以上と推測される。
北中城村の20年間で増加した人口に相当する村民が増え、
村の新たな核となり就労人口の増加が予想される。


と、ここまでは優等生的な計画の解釈ができる。
これからこの10倍以上の面積の土地が開発されようとしている。



物事は新しく造ることだけでなく、環境を整え直し、時に守ることも必要である。
都市計画の整序・開発・保全の方針などと、頭をひねって
目標を設定しても、実施の段階でどこかに飛んでしまう。

この沖縄本島改造と言えるほどの開発の行方は、経済の振興とは裏腹に
社会・自然環境面の課題が多く、沖縄らしい心豊かな生活が見えてこない。

中南部の海岸は干拓地と護岸で覆われ、自然海岸は
リゾートホテルの砂浜にその名残りをとどめるだけだろう。



隣のコザの商店街の復興はおろか、北谷、具志川のモールでさえ
商業力は相対的に弱まり、10年後はどうなるかわからない。
巨大モールは日本の地方の都市構造を変えてしまった。

地元では、新しい物に興味を示し歓迎する一方、儲からなくなると
またどこかに行くのだろう、と冷静な見方をする人も多い。



現在の住宅需要を見ると、新市街地への人口移動は顕著になるであろう。
住宅供給が過剰になると、投機目的の軍用地購入者の転売が始まり、
中国を含めた県外の土地所有者が増えるであろう。

2030年に人口減少が始まると、中心市街地はますます疲弊し、
本土並みに空き家が増え続けるだろう。



本土復帰のはずが米軍基地は残り、
基地が返還されても遅れて本土と同じ問題を抱え込んでしまう。
最も、嘉手納基地が残る限り、計画のストーリーは完結しない。

 気圧配置からはもう梅雨明けのような沖縄であるが、本部町では
フクギの垣根に羽化して間もないオオゴマダラが数匹群れていた。
最も沖縄らしいと言われるこの蝶は、はじめせわしく飛び回っても、
やがて大きくなると、風に揺られながらも優雅に舞い上がっていく。


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