太平洋戦争末期に開発された桜花(おうか)という特攻兵器があった。
一式陸攻の下部に搭載された有人誘導型ミサイルであるが、
そのフォルムは美しく、小学校時代そのプラモデルは羨望の的でもあった。
桜花の開発主任の三木忠直少佐は戦後、新幹線をデザインした。
連合国軍側はこの自殺兵器に、BAKAというコードネームを付けたが、
サクラのように舞い散る日本人の人生観を、強烈に植え付けたという。
1912年にワシントンDCに贈られ、植樹されたサクラは、
アメリカでは既に、日本人の平和の証となっていた。
先週、八重岳の桜まつりに行った時、米国人の観光客が
多いことに驚いたが、その理由がわかった。
寂寥する虫の音、花の散るはかなさ、わびさびの感性は
日本人特有なもので、欧米人は理解できないとされてきた。
最近は、アジアのエキゾチックな魅力がブームとなっている。
その観光の一つとして、桜見体験でもしているのだろう、と思っていた。
アメリカの旅行サイトや書き込みを見るうちに、ある事実が浮かんでくる。
米軍統治下の1963年、八重岳の米軍基地が、頂上の一部を除き返還された時、
琉米親善委員会から、何か記念になるものを作らないかと区長に依頼があった。
当時の区長は、モニュメントよりもサクラにしましょうと返答した。
八重岳周辺にはヒカンザクラが自生していたが、地元住民と米軍が協力して、
沿道に4000本のヒカンザクラの植樹を行ったという。
日本人からすれば、日本で一番早い桜まつりで有名になった、
サクラを選んだ区長は偉かった、ということになるが、
観光客はこの事実を知らない。
だが、アメリカ人のニュアンスはちょっと違う。
駐留軍は八重岳を借用したお礼に、記念碑を建てようと考えた。
しかし、本部の人々の要望もありサクラを贈呈し植えた、と紹介してある。
Okinawa Hai
これは、逆の立場で途上国に援助をすることを考えれば理解できる。
自分が公園に植えた木が大きくなり、地元の人に喜ばれていたら
家族に見せたいときっと思うだろう。
欧米のデモクラシー、ボランティアの精神とはこういうものだ。
サクラは、日本の特殊な文化と環境を理解する良い材料でもあり、
さらにそれを取り巻く歴史が作られる。
戦争そのものに美談はないが、
事実が共通の理解となれば、グローバルな関係を保てる
美談となっても良いのではないだろうか。