沖縄に暮らし、ナイチャーとして越えられない壁があることに気がつく。
それは戦争と戦後のアメリカ世の体験である。
先日、沖縄戦の遺骨収集ボランティアについての話を聞いた。
現在もガマ(壕)や建設現場からは遺骨や不発弾が出てくるという。
NPOや遺族会、宗教団体が活動しており、
大学の単位修得にもなるほど一般的だという。
その活動内容・システムは、服装・保険・責任などは
災害ボランティアとほとんど同じである。
未だ、戦争の歴史が続いていることに、正直驚いてしまう。
2年前、ペリリュー島で遺骨収集団と一緒に、鍾乳洞に入り込んだ。
その時の写真を沖縄の人に見せたが、特に驚く様子もなかった。
南洋の激戦地は未だに戦車や戦闘機が残され、遺骨収集も不十分である。
しかし、沖縄やフィリピンは、市街戦も行われ
最も多くの死傷者が出た激戦地であった。
70年代の海洋博の開発で、本部に出張した先輩から、遺骨と不発弾で
工事が進まない話を聞いて、沖縄ではまだ戦後が続いている実感を持った。
最近の新都心の開発も、真嘉比の区画整理地区でさえ、
シュガーローフの戦いのあった激戦地で、不発弾、遺骨のため
最近ようやく事業が進展した経緯があった。
現在のおもろ町の隆盛からは、想像することができない。
頭ではわかっていても、同じ国内であっても、
ガマや被災地の現場に入らなければ、それを理解する一歩を踏み込めない。
一度経験しようと思い、NPOのガマフヤーに電話をして話を聴いた。
“現在遺骨が散在する現場が見つかり、ボランテイアを
召集するか調査するので、来週また電話ください。”
という返答だった。
ガマフヤ―
たまたま、昨日の国会中継で、遠山衆院議員がガマフヤ―の
遺骨収集ボランティア活動に、国の活動支援を要請していた。
普天間基地の政府の意思決定や、防衛大臣の発言にしても、
歴史を共有した体験がないまま、理解する努力をしなければ
解決の糸口も見えない。
いくら沖縄のことを理解したとしても、
片思いだとしても、誰が来ても、その溝は埋まらない。
来沖する大臣や首相も、きれいな新都心ばかりでなく、
一度ガマに入って、瞑想してもらった方が良いのかもしれない。