島の伝統を継ぐもの

Katzu

2013年08月15日 19:07

 沖縄の夏は、最も厳しい季節でありながら、最も沖縄らしい季節でもある。
自然界の動植物はエネルギーの発散を抑え、雪国の冬眠に対し、夏眠という造語さえ頭に浮かぶ。
しかし、人間の生業は止まることがない。



名護市周辺では、ちょうど2期目の田植えが終わっっていた。
8月の沖縄は、地域の綱引き、豊年祭、海神祭などの行事のほか、
各集落単位に、1大イベントと言われる旧盆と、関連するエイサー、道ジュネが行われる。

 シヌグは、女系社会の沖縄の祭事の中では珍しい男達の祭りである。
男達が草木をまとい神人となって山を下り、集落の厄祓いをして回る来訪信仰によるものである。

 最も有名な安田のシヌグは、国指定の重要無形文化財でもあり、旧暦の初亥の日から2日間行われる。
8月13日にカメラマンのK氏と部外の記録者として参加した。昨年の種取祭り以来であるが、この祭事には
文化遺産を守り継ぐことの意義と、これからの集落社会を維持するためのポイントが隠されていた。



 朝10時すぎ、安田の公民館前に行くと、アサギの近くの拝所で御願が行われていた。
縄作りの場が準備されていた。男性のシヌグ参加者は、頭に巻く藁を編まなければならない。
数人の若い男達が、地元の女性に指導を受けながら藁をなっている。
稲作文化中心の東北人が、沖縄の人に藁のない方をはじめて教えてもらうことを恥じつつも、
平地の少ないこの集落に稲作文化が伝承したことに疑問を抱いていた。



 豊年祭のシンボルはムカデである。定説はないがハブを避けるという意味もあるという。
ヤマヌブイ(山登り)は、おおよそ門柱により3方向に分けられるが、一番遠い南のヤマナスに参加した。
膝上までの川を3度渡りながら、ようやく山すそにたどり着く。



ここは猪垣の遺構が残る所で、体に草木をまとい、山の神に祈りをささげる。
裸になり草木で体をかくすのが基本であったらしいが、宮古島のパーントゥほどの異様な姿ではない。
男だけの秘めた祭事は南洋群島では多く、パラオではそれを覗いた女性が石になった伝説がある。



代表から、頭の掛縄は最後まで外さないように指示され、何度も締め直す。
太鼓を持った人を先頭に、エイヘイホーイという掛け声をあげながら、林を歩きながら戻る。
前の子供は、その音と掛け声に不安そうな様子である。



この日は日差しが強く、1時間以上、野山を歩くと頭がクラクラしてくる。
水を携行し、高齢者に水を勧めるが、受け取らない。
あの炎天下で、熱中症で倒れる人が出なかったのが不思議だ。



集落に戻ると、神人として迎えられ、村人や家々や御嶽をお祓いしながら回り、海に向かう。
いつの間にか、参加者は数百人になっていた。



海に横並びになり、海神に祈り、海水で清め、また人に戻る。
最後は集落の川で体を洗い、旗竿と三線の先導で広場に戻り、カチャーシーで無事を祝った。



 夜は女性が中心の祭事となる。
区長の長いあいさつのあと、ヤーハリコーという神アサギに丸太を突き刺す不思議な行事が行われた。
この解釈は、船の穴を止め無事を祝ったもの、進水式の様子、子孫繁栄の儀式など様々である。



このあと、女性のウスデークが踊られた。
白装束は未婚の女性で、神人に迎えられる。
神歌と踊りも初めはスローに、徐々にテンポの速い曲になり気分も高揚していく。



1時間ほど続き、最後はカチャーシーで終了した。

 祭りの参加者は、初め縄をなう人が少なく、10名ほどだと思ってしまった。
報道関係者、外国人、大学生なども多く、傍観者から参加者の立場になることにした。
北の伊部集落は人が少ないので手伝って欲しいという話も耳に挟み、
祭りを維持するための苦労や集落の生い立ち、若い参加者の話なども聞くことができた。



 『伝統はなぜ受け継ぐのか』
 民俗学的価値のあるものを書留め、残していく研究者と私の立場は違う。
錆びつくよりは燃え尽きるほどの過激さはなくても、独立した集落形態を維持することの方が、
差し迫った課題であると思う。
サトウキビ畑の休耕地と思われたのは、元の水田であった。



安田集落は、やんばるの森からの豊かな水と、わずかな平地で稲作文化は引き継がれ、
半農半漁の海人・山人の生活が営まれていたが、戦後、村の土地利用も生活形態も変わってしまった。
話を交わしたのは畑の地権者の方で、すでにこの地には住んでいない。
祭りにあわせ土地を提供し、草刈をした場所で神事を行うために参加しているという。



 参加者の若い人達は、沖縄の大学生と北海道大学の祭りサークルで、祭りの運営をサポートしていた。
容姿の違いや伝統文化に対する不理解もあるが、これからの村社会を支えるのは若者たちで、
内外、肌の色を問わずその伝統に参加し、伝えていくべきだろう。



 村の祭事は重要文化財として指定し、国立劇場で演じることが目的ではない。
宮古島の観光の目玉になったパーントゥは、イベント化することを懸念し日程の公表を控えた。
研究者やマスコミの過大な目が注がれ、後継者問題もあり消えていったイザイホーの例もある。

 この祭りは、血縁同士だけでなく、田舎と都会、
老人と若者、集落民と訪問者を結ぶ魅力を秘めている。
形骸化した祭りの維持や観光化にとらわれない、
集落の伝統が生活を維持するシステム作りをすることが求められている。

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