2012年03月26日
拝啓 仲井真知事殿

東日本被災民の住居の供給、がれきの受け入れなど、
在沖東北出身者の一人として感謝申し上げます。
現在の基地返還跡地を含む都市整備計画と、市街地の将来像について、
街づくりに関わる者として、多少の懸念を抱いております。
整備構想には、ウォーターフロントの新産業開発、緑のネットワークの
環境都市など多くの魅力あるテーマが含まれています。
この500haほどの開発地の多くが、従来の区画整理事業や開発許可で
行われた場合、急激な都市化が進み、基地経済の縮小、人口の移動など、
都市構造が変化するとともに、旧市街地の疲弊はますます進行し、
未利用宅地が増えることは、バブル時の都市成長の結果を見れば明白です。
この構想について、現在進行中の多くの開発動向も含め、
将来人口フレームや国土利用計画には、どのように反映されているでしょうか。
上記の悪循環を抑え、沖縄の経済・生活を支え発展していくためには、
グローバルな経済と人の交流・流入が必要と思われます。
一方、沖縄には1,000人を超える被災者が来沖していますが、
東北全体の避難・転居者は34万人にも達しています。
その中には放射能の不安を抱え、心身ともに疲れ切った被災者が多くいます。
特に福島県の帰還困難地域の被災者は、近隣の代替村の構想も進まず、
村のコミュニティも崩壊しつつ、将来の村の希望も見えない状況です。
現在、まとまった被災者の受け入れと受け皿(住宅地)の確保のために、
放射能の不安のない街区が計画され、進行する可能性のある地区は、
全国でも沖縄県の駐留軍跡地構想だけです。
その実現には、国の震災補助事業の創設が必要ですが、
事業計画の策定時には、その活用と土地利用計画の配慮、
換地・保留地の優先等、配慮されることを望みます。
沖縄には、久米村の渡来人が新しい島づくりに貢献したという歴史が
あるように、基地と原発という危険施設を持った県民同士の交流が、
新たな日本を創造するものと信じています。

三春の滝桜
Posted by Katzu at 18:33│Comments(0)
│まちづくり
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