2012年12月04日
離島の空港計画
石垣空港に近づくと、『滑走路延長が1,500mと短く2,000mに足りないので、
逆噴射ブレーキをかけますので、御了承ください。』と機長のアナウンスがあった。
離島の空港ではよくあることと理解していたが、初めて聞くアナウンスであった。
これは新空港建設の大きな理由となったもので、地元からかなり要望、
不安を訴える声があったことは想像に難くない。

新石垣空港建設は、1980年代に降って湧いた。
先に、宮古島が2,000m滑走路を整備し、東京からの直行便を開設し
中央資本が流入し発展したため、2,000m滑走路は石垣島民の長年の夢だった。
しかし、その足かせになったのは、現空港の延長先にあるフルスト原遺跡であり、
新空港は、白保のサンゴ礁を埋立てることに一旦決まった。
その後、白保のサンゴ礁を守る運動が全国的な指示を受け、環境省が保護の
姿勢を示し、計画の見直しとアセスの実施が行われ、計画凍結が続いた。
その後、バブルの崩壊を得て、アセスの調査報告が出されると、
陸上案が了承され、滑走路先のカラ岳の掘削が始まっていた。
ここには戦時中に飛行訓練所があり、離陸直後にカラ岳のエアーポケットのため
よく墜落した個所で、新空港ではこの山の一部を削ったものである。
この山は海のそばで良く目立ち、一度登って見たかった。
白保の唄者、大島康克の唄にもあり、白ユリが咲く美しい山である。
山はカヤが伸び登れなかったが、それよりも、滑走路付近の
警備員・関係者の数が多く近寄りがたかった。

2年前、敷地の沈砂池予定地から、2万年前の
貴重な日本最古の人骨が見つかった。
県は調査を継続しつつ、遺跡を記録保存、アセス報告書を提出し、
来年3月の開港に向け工事を急いでいる。
かつて空港延伸のできない理由となったフルスト原遺跡に比べると、
軽すぎる扱いではないだろうか。
まさか、沈砂容量を再計算縮小し、池の深度を深くし、池面積を減らし、
あるいは浄化効果の少ない場所に移動させたのではあるまい。
環境への影響については、小コウモリ、カンムリワシ、ハナサキガエルの
モニタリングを継続することになっている。
一方、現空港の跡地利用計画は、まだ具体化していない。
離島の空港計画は、地元の振興計画と密接な関係にある。
緊急医療や避難計画を考えると島の死活問題に関わるので、
優先課題として整備計画に盛り込むべきだが、現実的には、島の振興計画との
兼ね合いで、経済発展を目標に、地元の要望も含め、空港計画が立案される。
県内の空港現況を調べると、下図の様に未利用か、定期便のない空港(空地)が
これほど増えたことに、改めて驚かされる。
現在の離島の空港計画は、大幅な見直しを迫られている。
より大きな地図で 沖縄離島空港状況 を表示
バブル以降は経営が厳しく、現在、定期便が運行していない空港は、県内で
ケラマ空港、波照間空港、伊江島空港、粟国空港、伊是名空港がある。
国内でも多くの地方空港が経営不振の航空会社の影響で、
定期便の確保が難しい状況にある。
石垣新空港が国内最後の新空港と言われる由縁である。
その一方で、伊平屋空港が、地元の要望で検討されている。
多良間島では旧空港のかわりに、1,500m滑走路の新空港が2003年に
建設されたが、集落から遠く、整備された周辺施設も既に荒廃し始めている。

そもそも沖縄の空港計画の矛盾は、米軍空軍基地の存在による影響が大きい。
東洋一と言われた旧日本軍の読谷飛行場は、米軍の補助飛行場として利用されたが
6年前に返還され、村の中心にポッカリと空いた土地の整備が急がれている。

伊江島には米軍の補助飛行場と旧日本軍飛行場、民間飛行場が
3本平行に、なかよく並んでいる。
以前、国頭村が反対したハリアーパッドを伊江島地主会が受け入れた経緯がある。

そして、まだ残っている辺野古のV型1,800m滑走路2本の計画案。

3,000m滑走路の下地島訓練飛行場については、
JALの撤退が決まって、その後の使用計画さえ決まっていない。
隣国の軍事圧力が強まる中で、旧伊良部町は自衛隊駐留を請願した経緯もある。
先月、宮古島と多良間島で、同じこんな話を聞いた。
『辺野古などと言わず、中国に近い下地島空港を使えば良い。集落を通過せず、環境
破壊もないし、伊良部大橋もでき、島は発展する。反対したのはナイチャーだけだ。』

もう、ここまで来ると、魑魅魍魎の世界で、那覇空港をはじめとした軍民利用などの
課題も含めると、総合的な空港計画など策定できるはずもなく、
島民の安全確保さえできていないのが悲しい現実である。
さらに、離島の人口減少、観光客の減少、燃油の高騰で船運会社が倒産し、
離島の交通環境はますます厳しい状況にある。

白保集落を抜け、国道を北上すると、交通指導員が旗を振り、
『進入禁止だ、戻れ!』とかなり高圧的な態度だった。
新道の入っていないカ―ナビの観光客が、旧道に入るのは当然で、
頭を下げて工事依頼する、本土の建設作業員の態度とは全く違った。
この島の建設環境が一瞬のうちに理解できたが、
その島で暮らす人達のことを考えると不憫に思えてしまう。
学生時代、離島の交通計画の手伝いをしたことがあるが、
将来の乗降客数の需要やら、地域医療のインセンティブやらを考え、
積み上げたことが、力の理論で押し切られ、
計画が役立っていない現実に、強い失望感を味わった。
逆噴射ブレーキをかけますので、御了承ください。』と機長のアナウンスがあった。
離島の空港ではよくあることと理解していたが、初めて聞くアナウンスであった。
これは新空港建設の大きな理由となったもので、地元からかなり要望、
不安を訴える声があったことは想像に難くない。

新石垣空港建設は、1980年代に降って湧いた。
先に、宮古島が2,000m滑走路を整備し、東京からの直行便を開設し
中央資本が流入し発展したため、2,000m滑走路は石垣島民の長年の夢だった。
しかし、その足かせになったのは、現空港の延長先にあるフルスト原遺跡であり、
新空港は、白保のサンゴ礁を埋立てることに一旦決まった。
その後、白保のサンゴ礁を守る運動が全国的な指示を受け、環境省が保護の
姿勢を示し、計画の見直しとアセスの実施が行われ、計画凍結が続いた。
その後、バブルの崩壊を得て、アセスの調査報告が出されると、
陸上案が了承され、滑走路先のカラ岳の掘削が始まっていた。
ここには戦時中に飛行訓練所があり、離陸直後にカラ岳のエアーポケットのため
よく墜落した個所で、新空港ではこの山の一部を削ったものである。
この山は海のそばで良く目立ち、一度登って見たかった。
白保の唄者、大島康克の唄にもあり、白ユリが咲く美しい山である。
山はカヤが伸び登れなかったが、それよりも、滑走路付近の
警備員・関係者の数が多く近寄りがたかった。

2年前、敷地の沈砂池予定地から、2万年前の
貴重な日本最古の人骨が見つかった。
県は調査を継続しつつ、遺跡を記録保存、アセス報告書を提出し、
来年3月の開港に向け工事を急いでいる。
かつて空港延伸のできない理由となったフルスト原遺跡に比べると、
軽すぎる扱いではないだろうか。
まさか、沈砂容量を再計算縮小し、池の深度を深くし、池面積を減らし、
あるいは浄化効果の少ない場所に移動させたのではあるまい。
環境への影響については、小コウモリ、カンムリワシ、ハナサキガエルの
モニタリングを継続することになっている。
一方、現空港の跡地利用計画は、まだ具体化していない。
離島の空港計画は、地元の振興計画と密接な関係にある。
緊急医療や避難計画を考えると島の死活問題に関わるので、
優先課題として整備計画に盛り込むべきだが、現実的には、島の振興計画との
兼ね合いで、経済発展を目標に、地元の要望も含め、空港計画が立案される。
県内の空港現況を調べると、下図の様に未利用か、定期便のない空港(空地)が
これほど増えたことに、改めて驚かされる。
現在の離島の空港計画は、大幅な見直しを迫られている。
より大きな地図で 沖縄離島空港状況 を表示
バブル以降は経営が厳しく、現在、定期便が運行していない空港は、県内で
ケラマ空港、波照間空港、伊江島空港、粟国空港、伊是名空港がある。
国内でも多くの地方空港が経営不振の航空会社の影響で、
定期便の確保が難しい状況にある。
石垣新空港が国内最後の新空港と言われる由縁である。
その一方で、伊平屋空港が、地元の要望で検討されている。
多良間島では旧空港のかわりに、1,500m滑走路の新空港が2003年に
建設されたが、集落から遠く、整備された周辺施設も既に荒廃し始めている。

そもそも沖縄の空港計画の矛盾は、米軍空軍基地の存在による影響が大きい。
東洋一と言われた旧日本軍の読谷飛行場は、米軍の補助飛行場として利用されたが
6年前に返還され、村の中心にポッカリと空いた土地の整備が急がれている。

伊江島には米軍の補助飛行場と旧日本軍飛行場、民間飛行場が
3本平行に、なかよく並んでいる。
以前、国頭村が反対したハリアーパッドを伊江島地主会が受け入れた経緯がある。

そして、まだ残っている辺野古のV型1,800m滑走路2本の計画案。

3,000m滑走路の下地島訓練飛行場については、
JALの撤退が決まって、その後の使用計画さえ決まっていない。
隣国の軍事圧力が強まる中で、旧伊良部町は自衛隊駐留を請願した経緯もある。
先月、宮古島と多良間島で、同じこんな話を聞いた。
『辺野古などと言わず、中国に近い下地島空港を使えば良い。集落を通過せず、環境
破壊もないし、伊良部大橋もでき、島は発展する。反対したのはナイチャーだけだ。』

もう、ここまで来ると、魑魅魍魎の世界で、那覇空港をはじめとした軍民利用などの
課題も含めると、総合的な空港計画など策定できるはずもなく、
島民の安全確保さえできていないのが悲しい現実である。
さらに、離島の人口減少、観光客の減少、燃油の高騰で船運会社が倒産し、
離島の交通環境はますます厳しい状況にある。

白保集落を抜け、国道を北上すると、交通指導員が旗を振り、
『進入禁止だ、戻れ!』とかなり高圧的な態度だった。
新道の入っていないカ―ナビの観光客が、旧道に入るのは当然で、
頭を下げて工事依頼する、本土の建設作業員の態度とは全く違った。
この島の建設環境が一瞬のうちに理解できたが、
その島で暮らす人達のことを考えると不憫に思えてしまう。
学生時代、離島の交通計画の手伝いをしたことがあるが、
将来の乗降客数の需要やら、地域医療のインセンティブやらを考え、
積み上げたことが、力の理論で押し切られ、
計画が役立っていない現実に、強い失望感を味わった。
Posted by Katzu at 13:42│Comments(0)
│まちづくり
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