2013年04月04日
コミュニティのコミュニケ―ション方法
大洋州の島々は、祭事が生活の中心であった。
現在の沖縄でもカレンダーは、年中行事で埋め尽くされる。
暦意外にも、各種イベント、冠婚葬祭、同窓会などが多く、
毎週、休む間もない印象をうける。

この多くの祭事を行う為には、コミュニティの結いが最も大切であるが、
それを伝える方法は、地域と規模により異なる。
特に離島では、島内放送があったり、マイクで起床や日々の情報が流される。
本島の集落では、広報車が、葬式予定その他の情報を流し走っていく。
広告類・イベント開催は、交差点や道路の横断幕で伝える。
南洋のパラオでも同じ方法で、イベントの数日前に知らされることが多かった。

日本本土や本島都市部では、市報や各ミニコミ誌がその役目を担うが、
島の伝統を維持するためには、従来の伝達方法で行われる。
部外者や旅行者は、島内放送や突然の時報に驚かされることがある。
一方、その集落や各種団体に入り、生活を共有しない限り、そのコミュニティに
入りづらいのも事実で、一旦入り込めば出づらいほどの深い関係となる。
アジアの地方集落はどうであろうか。
ビルマ中北部ニャウンシュエを例にとると、
朝6時すぎに、子供達の唄声が聞こえ起こされる。
若い僧侶達が、お経を唱え街を練り歩き、お布施をうける托鉢が行われる。
純粋な宗教活動であり、まだ観光客の注目を浴びていないのが救いである。

特に定期の市報などはなく、人伝いに情報が伝達する。
宗教関連以外にイベントは少なく、毎年暦通りに繰り返される。
マーケットは5日おきに開催される。

ディスコやライブハウスのないこの街では、音楽が流れるのは珍しい。
大きな音楽のする方向に向かい歩いて行くと、公民館に人が集まっている。
手招きされ中に入ると、新郎新婦が迎え入れた。

結婚式だったのである。
日本人の旅行者であることを伝え、困惑していると、料理の席に招かれた。
村の人も次々とやってきて、ワイワイと料理を食べて交代していく。

この村は、年々歳々の決まった年中行事と、すべての人を受け入れるという
宗教観に基づいた、独自のコミュニティのコミュニケーション方法を持っている。
外来者に対しても同じく接する態度に、いたく感心してしまった。

沖縄本島の屋慶名では3日後、海中ロードレース大会があり、毎年1万人規模の人が
集まるが、今のところ横断幕と広報車以外に、まだ何の気配も感じられない。
Netで参加者も決まり、あとは前日に物理的な作業が行われる程度であろう。
そして、台風規模の天気にならない限り、つつがなくイベントは取り行われるだろう。
その手際良さとイベント慣れと南国的あいまいさ?にいつも感心してしまう。
伝達方法の違いこそあれ、多くの人を迎える行事の趣旨は共通である。
災害時にNetやテレビや携帯が、決して万能ではないことを知った日本人は、
宗教や伝統的なコミュニケーション方法や結いの強さを、もう一度見直すべきだろう。
現在の沖縄でもカレンダーは、年中行事で埋め尽くされる。
暦意外にも、各種イベント、冠婚葬祭、同窓会などが多く、
毎週、休む間もない印象をうける。

この多くの祭事を行う為には、コミュニティの結いが最も大切であるが、
それを伝える方法は、地域と規模により異なる。
特に離島では、島内放送があったり、マイクで起床や日々の情報が流される。
本島の集落では、広報車が、葬式予定その他の情報を流し走っていく。
広告類・イベント開催は、交差点や道路の横断幕で伝える。
南洋のパラオでも同じ方法で、イベントの数日前に知らされることが多かった。

日本本土や本島都市部では、市報や各ミニコミ誌がその役目を担うが、
島の伝統を維持するためには、従来の伝達方法で行われる。
部外者や旅行者は、島内放送や突然の時報に驚かされることがある。
一方、その集落や各種団体に入り、生活を共有しない限り、そのコミュニティに
入りづらいのも事実で、一旦入り込めば出づらいほどの深い関係となる。
アジアの地方集落はどうであろうか。
ビルマ中北部ニャウンシュエを例にとると、
朝6時すぎに、子供達の唄声が聞こえ起こされる。
若い僧侶達が、お経を唱え街を練り歩き、お布施をうける托鉢が行われる。
純粋な宗教活動であり、まだ観光客の注目を浴びていないのが救いである。

特に定期の市報などはなく、人伝いに情報が伝達する。
宗教関連以外にイベントは少なく、毎年暦通りに繰り返される。
マーケットは5日おきに開催される。

ディスコやライブハウスのないこの街では、音楽が流れるのは珍しい。
大きな音楽のする方向に向かい歩いて行くと、公民館に人が集まっている。
手招きされ中に入ると、新郎新婦が迎え入れた。

結婚式だったのである。
日本人の旅行者であることを伝え、困惑していると、料理の席に招かれた。
村の人も次々とやってきて、ワイワイと料理を食べて交代していく。

この村は、年々歳々の決まった年中行事と、すべての人を受け入れるという
宗教観に基づいた、独自のコミュニティのコミュニケーション方法を持っている。
外来者に対しても同じく接する態度に、いたく感心してしまった。

沖縄本島の屋慶名では3日後、海中ロードレース大会があり、毎年1万人規模の人が
集まるが、今のところ横断幕と広報車以外に、まだ何の気配も感じられない。
Netで参加者も決まり、あとは前日に物理的な作業が行われる程度であろう。
そして、台風規模の天気にならない限り、つつがなくイベントは取り行われるだろう。
その手際良さとイベント慣れと南国的あいまいさ?にいつも感心してしまう。
伝達方法の違いこそあれ、多くの人を迎える行事の趣旨は共通である。
災害時にNetやテレビや携帯が、決して万能ではないことを知った日本人は、
宗教や伝統的なコミュニケーション方法や結いの強さを、もう一度見直すべきだろう。
Posted by Katzu at 16:12│Comments(0)
│まちづくり
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