2013年12月06日
街のシンボルツリー
街のシンボルは、行政や地域イベントだけでなく、まちづくりに必要な要素である。
西欧で街のシンボルいえば、その多くは人工的な建造物である。
遺跡を含め人間が築いた文明が、都市そのものだからである。
公園・広場、市場、シンボルロードなどの公共施設や、
宮殿、教会、駅舎などの建築物がこれに該当する。

シャンゼリゼ通りと凱旋門
一方、日本やアジアでは、自然崇拝から宗教的なものを含めた精神的な支柱と、
城塞、堰などの防御・防災施設が、まちを構成してきた歴史経緯がある。
信仰対象の山、川、森、神社仏閣、大仏、神木、防災林なども、まちのシンボルとなる。

アンコールワットへの道
ソフトなシンボルとしては、トキ、ジュゴン、イルカ、クジラなどの希少生物や
地域特産品、最近のゆるキャラなどもこの一種かもしれない。
西欧の古い都市は、広場を中心に構成されており、ランドマークとしての大聖堂が
自分の位置を確かにする役目も担っている。
東京スカイツリーの都市のシンボルとしての位置づけも、これと同じ機能がある。

日本の集落の大木は、自然信仰の対象であったばかりか、位置を表すアイストップ、
歴史のメモリーポイントとして、街のシンボルになる例がある。
神木と呼ばれるものは、全国各地にスギ、ケヤキ、モミ、モチノキなどがあり、
中には樹齢1000年を超すものもある。
沖縄ではガジュマルが御神木として自然崇拝されてきた。
垂れ下がった気根と石を絞め殺すようなガジュマルの生命力が、
生物の霊力を蓄えているように感じてしまう。

沖永良部島の国頭小学校にある日本一のガジュマルは、まちのシンボルであるばかりか、
卒業生の記憶に残る記念木であり、児童は島の風景を忘れることはないだろう。
きっと、この木をバックに朝礼する先生には威光がさし、果報者であったはずだ。

街のシンボルツリーとして有名なものに、名護市のヒンプンガジュマルがある。
ヒンプンとは琉球民家の入口を2分する屏風壁のことで、この木も県道を2分している。
すでに周囲のビルの景観に埋もれつつ、かつてほどの壮大さはなく
一時倒壊の危機にあったが、修復の甲斐もあり、隣は市民の憩いの広場となっている。

沖縄各地の御嶽にあるガジュマルの大木は、信仰の対象になっている。
ガジュマルにはキジムナー(ブナガヤ)の妖精が住むと言われ、
大宜味村ではブナガヤが村おこしのシンボルとなっている。

この木の持つ魔力は、東南アジア各国においても同様である。
ビルマは上座部仏教の国であるが、街角にあるガジュマルの木には祠があり、
寺院だけでなく地域のシャーマニズムの名残りが各地にある。

ミャンマー・シャン州
タイのアユタヤのワット・マハタートでは、ビルマ軍の進行により破壊された
仏陀の頭が、ガジュマルにより守られ、寺院のシンボルとなっている。

カンボジア・アンコール遺跡群のタ・ブローム寺院は、ガジュマルに
飲み込まれた廃墟であるが、修復し寺院を再建するより、
諸行無常の美学と、自然デザインが胸を打つ、不思議な観光のシンボルとなっている。

長崎市坂本町には、街の歴史を一身に集めたシンボルツリーがある。
原爆の爆心地から800mしか離れていないこの一帯は、草木が残らず
山王神社のクスノキの大木だけが黒焦げ状態で残った。

坂本町の175世帯のうち家族全員が生き残ったのは、神社の1家族だけだったという。
その後、奇跡的に新芽が出て、残ったまちの人々はこの木を復興のシンボルとして修復し、
心を一つに街も現在の姿に再興された。
現在もこの被爆クスノキは、まちのシンボルツリーとして人の心をつないでいる。

自然の木はいずれ枯れ、住民は焦燥感を味わうかもしれない。
しかし、再生させることも可能で、また新しいまちづくりが始まるだろう。

シンボルツリーがなくなるのは、住民がまちづくりに興味を持たなくなった時かもしれない。
西欧で街のシンボルいえば、その多くは人工的な建造物である。
遺跡を含め人間が築いた文明が、都市そのものだからである。
公園・広場、市場、シンボルロードなどの公共施設や、
宮殿、教会、駅舎などの建築物がこれに該当する。

シャンゼリゼ通りと凱旋門
一方、日本やアジアでは、自然崇拝から宗教的なものを含めた精神的な支柱と、
城塞、堰などの防御・防災施設が、まちを構成してきた歴史経緯がある。
信仰対象の山、川、森、神社仏閣、大仏、神木、防災林なども、まちのシンボルとなる。

アンコールワットへの道
ソフトなシンボルとしては、トキ、ジュゴン、イルカ、クジラなどの希少生物や
地域特産品、最近のゆるキャラなどもこの一種かもしれない。
西欧の古い都市は、広場を中心に構成されており、ランドマークとしての大聖堂が
自分の位置を確かにする役目も担っている。
東京スカイツリーの都市のシンボルとしての位置づけも、これと同じ機能がある。

日本の集落の大木は、自然信仰の対象であったばかりか、位置を表すアイストップ、
歴史のメモリーポイントとして、街のシンボルになる例がある。
神木と呼ばれるものは、全国各地にスギ、ケヤキ、モミ、モチノキなどがあり、
中には樹齢1000年を超すものもある。
沖縄ではガジュマルが御神木として自然崇拝されてきた。
垂れ下がった気根と石を絞め殺すようなガジュマルの生命力が、
生物の霊力を蓄えているように感じてしまう。

沖永良部島の国頭小学校にある日本一のガジュマルは、まちのシンボルであるばかりか、
卒業生の記憶に残る記念木であり、児童は島の風景を忘れることはないだろう。
きっと、この木をバックに朝礼する先生には威光がさし、果報者であったはずだ。

街のシンボルツリーとして有名なものに、名護市のヒンプンガジュマルがある。
ヒンプンとは琉球民家の入口を2分する屏風壁のことで、この木も県道を2分している。
すでに周囲のビルの景観に埋もれつつ、かつてほどの壮大さはなく
一時倒壊の危機にあったが、修復の甲斐もあり、隣は市民の憩いの広場となっている。

沖縄各地の御嶽にあるガジュマルの大木は、信仰の対象になっている。
ガジュマルにはキジムナー(ブナガヤ)の妖精が住むと言われ、
大宜味村ではブナガヤが村おこしのシンボルとなっている。

この木の持つ魔力は、東南アジア各国においても同様である。
ビルマは上座部仏教の国であるが、街角にあるガジュマルの木には祠があり、
寺院だけでなく地域のシャーマニズムの名残りが各地にある。

ミャンマー・シャン州
タイのアユタヤのワット・マハタートでは、ビルマ軍の進行により破壊された
仏陀の頭が、ガジュマルにより守られ、寺院のシンボルとなっている。

カンボジア・アンコール遺跡群のタ・ブローム寺院は、ガジュマルに
飲み込まれた廃墟であるが、修復し寺院を再建するより、
諸行無常の美学と、自然デザインが胸を打つ、不思議な観光のシンボルとなっている。

長崎市坂本町には、街の歴史を一身に集めたシンボルツリーがある。
原爆の爆心地から800mしか離れていないこの一帯は、草木が残らず
山王神社のクスノキの大木だけが黒焦げ状態で残った。

坂本町の175世帯のうち家族全員が生き残ったのは、神社の1家族だけだったという。
その後、奇跡的に新芽が出て、残ったまちの人々はこの木を復興のシンボルとして修復し、
心を一つに街も現在の姿に再興された。
現在もこの被爆クスノキは、まちのシンボルツリーとして人の心をつないでいる。

自然の木はいずれ枯れ、住民は焦燥感を味わうかもしれない。
しかし、再生させることも可能で、また新しいまちづくりが始まるだろう。

シンボルツリーがなくなるのは、住民がまちづくりに興味を持たなくなった時かもしれない。
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