2014年01月26日
まち歩きの手法
先日、大阪でお世話になった先輩と一緒に名護の街を歩いた。
働き始めの30年ほど前、名護市の友好都市でもある
大阪府〇〇市の市街地整備基本計画の業務を一緒に行った。
当時、彼は既に関西圏では名だたる計画屋だったが、
こちらはまだ訳もわからず迷惑をかけながら、仕事の技を教えてもらった。
現在は視点が変わってしまい、必ずしも意見は同じではないが、
街を歩いただけでその意見解釈は、未だ現役で的を得ている。

名護の商店街は元気がないが、他都市と比べ最悪の状態ではない。
働く年寄りがいて歩ける範囲に人が住む。
郊外への拡大と箱物の拠点整備は必ずしも有効ではなく、
身近な生活の課題から取り組むべきだろう。

観光としてのまち歩きは、街の表面をトレースするもので、
街の紹介には役立つものの、街の本当の良さ、悪さはわからない。
視点のあるまち歩きは、街づくりのイントロダクションである。
◎ 現況解析
現地に入る前にある程度の知識や統計資料などの情報をインプットしておく。
自然や歴史を知ることも大切で、図書館や博物館が有効である。
地図や写真から主要施設をマークし、川、丘の地形をイメージする。
一歩進んで、数値化するには、町丁単位よりさらに細かい地片まで必要なこともある。

まち歩きはただ歩いても何も見えない。
目的地に向かうことが目標ではない。
目に留まったデザインに注視すれば、想像が膨らむ。
人の姿を見れば、まちの産業やコミュニティの様子がわかりやすい。
市場に行けばその土地の息吹きと、人の生業が感じられる。

裏通りにはまちの本当の姿と魅力が一杯ある。
幹線道路から1ブロック入れば、人の生活が見えてくる。

重要文化財だけでなく、古い魅力的な建物がたくさん残っている。
通りの風が排気ガスでない、まちの本来の匂いを運んでくる。

◎ 課題の抽出
良いものはすぐ見つかるが、悪いものは隠されている。
何も課題がない所ほど致命的な課題が隠されている。
何も魅力が見つからない土地ほど、見えない魅力が隠されている。
課題はすでに計画するものを暗示している。

ある時、業務スケジュール的解釈で街を調査し、街の現況を把握したと思い込んだ時期があった。
大震災後、その勘違いは、住んで初めて気づいた人間関係、古い歴史や自然環境であることがわかった。
〇 コミュニティ的解釈
普段の生活で推し測れないものには祭事やイベントがある。
今日市内ではさくら祭りが開催され、大通りはホコ天となり(なぜかトランジットモールと呼ぶ)、
普段はあまり見かけない県内観光客や米軍属たちも押し掛けた。

祭事が年中行事に組み込まれる沖縄ではあるが、
加えてこのような大規模イベントは名護市だけで年に7回ほど開催される。
コミュニティというと、町内会のあり方の議論になる本土と違い、
沖縄では商店街・学校・青年会・企業・出身別(民族)コミュニティなどが
複雑に絡み合いながら、街の生活を下支えしている。

市街地から離れたしま(集落)は、単に市街化を抑制する農村地域ではなく、
各独立したコミュニティである場合も多い。

〇 環境的解釈
満開になったヒカンザクラにアゲハチョウが止まっていた。
雪国の人間はこの時期の桜の開花は信じがたく、気温の上昇というより
種類の違いと解釈していたが、動植物すべてが一体となり動いていることを改めて感じた。

一方、雨に打たれしずくが垂れるヒカンザクラを見ていると、
ソメイヨシノの花が舞い散る春の息吹よりも、
寒い風雨にさらされるつらい冬であることを実感する。
『押しつけがましい内地の人が造るおかしなもの』、の正体がこの辺に隠されていると思う。
まち歩きのディテール探しは、数値解析に現れないテーマやデザインに反映される。

働き始めの30年ほど前、名護市の友好都市でもある
大阪府〇〇市の市街地整備基本計画の業務を一緒に行った。
当時、彼は既に関西圏では名だたる計画屋だったが、
こちらはまだ訳もわからず迷惑をかけながら、仕事の技を教えてもらった。
現在は視点が変わってしまい、必ずしも意見は同じではないが、
街を歩いただけでその意見解釈は、未だ現役で的を得ている。

名護の商店街は元気がないが、他都市と比べ最悪の状態ではない。
働く年寄りがいて歩ける範囲に人が住む。
郊外への拡大と箱物の拠点整備は必ずしも有効ではなく、
身近な生活の課題から取り組むべきだろう。

観光としてのまち歩きは、街の表面をトレースするもので、
街の紹介には役立つものの、街の本当の良さ、悪さはわからない。
視点のあるまち歩きは、街づくりのイントロダクションである。
◎ 現況解析
現地に入る前にある程度の知識や統計資料などの情報をインプットしておく。
自然や歴史を知ることも大切で、図書館や博物館が有効である。
地図や写真から主要施設をマークし、川、丘の地形をイメージする。
一歩進んで、数値化するには、町丁単位よりさらに細かい地片まで必要なこともある。

まち歩きはただ歩いても何も見えない。
目的地に向かうことが目標ではない。
目に留まったデザインに注視すれば、想像が膨らむ。
人の姿を見れば、まちの産業やコミュニティの様子がわかりやすい。
市場に行けばその土地の息吹きと、人の生業が感じられる。

裏通りにはまちの本当の姿と魅力が一杯ある。
幹線道路から1ブロック入れば、人の生活が見えてくる。

重要文化財だけでなく、古い魅力的な建物がたくさん残っている。
通りの風が排気ガスでない、まちの本来の匂いを運んでくる。

◎ 課題の抽出
良いものはすぐ見つかるが、悪いものは隠されている。
何も課題がない所ほど致命的な課題が隠されている。
何も魅力が見つからない土地ほど、見えない魅力が隠されている。
課題はすでに計画するものを暗示している。

ある時、業務スケジュール的解釈で街を調査し、街の現況を把握したと思い込んだ時期があった。
大震災後、その勘違いは、住んで初めて気づいた人間関係、古い歴史や自然環境であることがわかった。
〇 コミュニティ的解釈
普段の生活で推し測れないものには祭事やイベントがある。
今日市内ではさくら祭りが開催され、大通りはホコ天となり(なぜかトランジットモールと呼ぶ)、
普段はあまり見かけない県内観光客や米軍属たちも押し掛けた。

祭事が年中行事に組み込まれる沖縄ではあるが、
加えてこのような大規模イベントは名護市だけで年に7回ほど開催される。
コミュニティというと、町内会のあり方の議論になる本土と違い、
沖縄では商店街・学校・青年会・企業・出身別(民族)コミュニティなどが
複雑に絡み合いながら、街の生活を下支えしている。

市街地から離れたしま(集落)は、単に市街化を抑制する農村地域ではなく、
各独立したコミュニティである場合も多い。

〇 環境的解釈
満開になったヒカンザクラにアゲハチョウが止まっていた。
雪国の人間はこの時期の桜の開花は信じがたく、気温の上昇というより
種類の違いと解釈していたが、動植物すべてが一体となり動いていることを改めて感じた。

一方、雨に打たれしずくが垂れるヒカンザクラを見ていると、
ソメイヨシノの花が舞い散る春の息吹よりも、
寒い風雨にさらされるつらい冬であることを実感する。
『押しつけがましい内地の人が造るおかしなもの』、の正体がこの辺に隠されていると思う。
まち歩きのディテール探しは、数値解析に現れないテーマやデザインに反映される。

Posted by Katzu at 19:19│Comments(0)
│まちづくり
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