2015年08月08日
テロ対策の街づくり
昨年3月1日、172人が死傷する昆明駅前テロ事件が発生した。
犯人は新疆ウイグル自治区の独立勢力と発表された。少数民族紛争を
抱える中国は、他の軍事大国同様テロのリスクを抱える国になった。
この街のテロ対策は、どのように街づくりに影響を及ぼしたであろう。

昆明市の人口はオリンピック当時300万人であったが、近年の市街地拡大、
農村部からの人口流入により2012年720万人と増大した。(百度百科)

昆明市は、中国政府の提唱する『一帯一路』構想のメコン川経済ルートの
起点となるべき、中国南西部の中心都市の位置づけとなっている。
昆明長水国際空港が開港し、高速道路が運用開始し地下鉄も一部開通した。
開港まで20年近くを要した成田空港と比ベ、そのスピードの差に驚く。
市民も交通の変化に戸惑い、バス再編のため小型乗合車を探し回る。
旅行者はその混乱した市民を追いかけるからなおさら大変だ。

新しい交通計画の特徴は、都心部の環状道路と地下鉄南北線が骨格になり、
駅前の長距離バスターミナルは廃止され、東西南北5か所に分散された。
昆明駅前にすべての交通機関が集中し渋滞する状況を回避する目的である。
不特定多数が集まる場所を分散させ、経路を特定し防犯上も有効である。

昆明駅はテロ事件後検閲が厳しくなった。
入場箇所は1か所でX線の荷物検査がある。
切符購入する時も同じ手順で入場し、機動車両の配備する広場を抜け、
出る時は一方通行で交通警察の間をくぐり1か所の出口から外に出る。
列車に乗る場合は、切符と身分の検閲がありボディチェックを受ける。
事件から1年経っても、緊張感は空港以上の警備である。
バスターミナルも同様で、待合室に入る時にエックス線検査を受ける。
2008年の公共バス連続爆破事件以降、バス再編を受け強化された。

新しく開通した地下鉄でも、改札を通る際に荷物のX線検査がある。
まだアクセスに難があるが、車内マナーも特に悪い印象はなかった。
地下鉄駅前には市庁舎と勘違いするような交通警察の建物がある。

昆明駅前テロ事件は、20時間で解決したと報じられた。
監視カメラシステムの強化とビッグデータの解析利用が事件のカギを握り
インターネットポリスが増員され、Googleなどの海外Social Networkが
排除され、中国版Twitterウエイボーの検閲が強化されてきた。

街の様子はテロ事件以降どう変わったであろうか。
道路を迂回させた金碧広場は市内の観光地であるが、雰囲気が変わった。
昆明市はウイグル自治区に次いで回族つまりイスラム教徒の住む地域で、
旧市街地にも金碧広場に隣接し回教寺院の永寧清真寺がある。
その異教徒を見張るように、広場中心に交番が配置されている。
この観光地の雰囲気が、今の複雑な中国の姿を表している。

日本では新幹線の焼身自殺事件のあと、鉄道のテロ対策について関心が
持たれ、一時メディアではその方策について議論されていた。
その後は残念ながら、具体的なテロ対策のための街づくりは進んでいない。
各都市のテロ対策プログラムは、警察との素早い連携、防犯カメラの設置、
見回り隊の活動などが挙げられているが、ハード面の対策は進んでいない。
テロ対策は、バリアフリー、老人保護など、基本的人権の尊重や
企業経営、サービス優先、平和主義の社会とは相反するものがある。

しかし、テロが起きてからではハードな対策は間に合わない。
本来の都市計画は、軍事目的の街づくりから発達したものであり、
天変地異、あらゆる外敵からの防御を想定したものが基本であるべきだ。
いくら仲が悪いと言っても、隣国に学ぶ所も良い面もある。
経済が良くなりテロ対策が進んだことで、かつて多かった物乞いや闇商売も
減り、街角にたむろする目つきの悪い輩は姿を消し街に笑顔が増えた。

雲南は日本排斥運動のニュースに上がることも少なく、
比較的穏やかなイメージがあった。
その背景には昆明の都市計画に黒川紀章が深く関わったことや、
日本のODA事業、民族研究者が多数訪れていたからかもしれない。
一方で、政府の安保法制案や戦後談話など、面子や理屈だけで
誤解され、現地関係者の努力が無駄にならないように願うばかりだ。

犯人は新疆ウイグル自治区の独立勢力と発表された。少数民族紛争を
抱える中国は、他の軍事大国同様テロのリスクを抱える国になった。
この街のテロ対策は、どのように街づくりに影響を及ぼしたであろう。

昆明市の人口はオリンピック当時300万人であったが、近年の市街地拡大、
農村部からの人口流入により2012年720万人と増大した。(百度百科)

昆明市は、中国政府の提唱する『一帯一路』構想のメコン川経済ルートの
起点となるべき、中国南西部の中心都市の位置づけとなっている。
昆明長水国際空港が開港し、高速道路が運用開始し地下鉄も一部開通した。
開港まで20年近くを要した成田空港と比ベ、そのスピードの差に驚く。
市民も交通の変化に戸惑い、バス再編のため小型乗合車を探し回る。
旅行者はその混乱した市民を追いかけるからなおさら大変だ。

新しい交通計画の特徴は、都心部の環状道路と地下鉄南北線が骨格になり、
駅前の長距離バスターミナルは廃止され、東西南北5か所に分散された。
昆明駅前にすべての交通機関が集中し渋滞する状況を回避する目的である。
不特定多数が集まる場所を分散させ、経路を特定し防犯上も有効である。

昆明駅はテロ事件後検閲が厳しくなった。
入場箇所は1か所でX線の荷物検査がある。
切符購入する時も同じ手順で入場し、機動車両の配備する広場を抜け、
出る時は一方通行で交通警察の間をくぐり1か所の出口から外に出る。
列車に乗る場合は、切符と身分の検閲がありボディチェックを受ける。
事件から1年経っても、緊張感は空港以上の警備である。
バスターミナルも同様で、待合室に入る時にエックス線検査を受ける。
2008年の公共バス連続爆破事件以降、バス再編を受け強化された。

新しく開通した地下鉄でも、改札を通る際に荷物のX線検査がある。
まだアクセスに難があるが、車内マナーも特に悪い印象はなかった。
地下鉄駅前には市庁舎と勘違いするような交通警察の建物がある。

昆明駅前テロ事件は、20時間で解決したと報じられた。
監視カメラシステムの強化とビッグデータの解析利用が事件のカギを握り
インターネットポリスが増員され、Googleなどの海外Social Networkが
排除され、中国版Twitterウエイボーの検閲が強化されてきた。
街の様子はテロ事件以降どう変わったであろうか。
道路を迂回させた金碧広場は市内の観光地であるが、雰囲気が変わった。
昆明市はウイグル自治区に次いで回族つまりイスラム教徒の住む地域で、
旧市街地にも金碧広場に隣接し回教寺院の永寧清真寺がある。
その異教徒を見張るように、広場中心に交番が配置されている。
この観光地の雰囲気が、今の複雑な中国の姿を表している。

日本では新幹線の焼身自殺事件のあと、鉄道のテロ対策について関心が
持たれ、一時メディアではその方策について議論されていた。
その後は残念ながら、具体的なテロ対策のための街づくりは進んでいない。
各都市のテロ対策プログラムは、警察との素早い連携、防犯カメラの設置、
見回り隊の活動などが挙げられているが、ハード面の対策は進んでいない。
テロ対策は、バリアフリー、老人保護など、基本的人権の尊重や
企業経営、サービス優先、平和主義の社会とは相反するものがある。

しかし、テロが起きてからではハードな対策は間に合わない。
本来の都市計画は、軍事目的の街づくりから発達したものであり、
天変地異、あらゆる外敵からの防御を想定したものが基本であるべきだ。
いくら仲が悪いと言っても、隣国に学ぶ所も良い面もある。
経済が良くなりテロ対策が進んだことで、かつて多かった物乞いや闇商売も
減り、街角にたむろする目つきの悪い輩は姿を消し街に笑顔が増えた。

雲南は日本排斥運動のニュースに上がることも少なく、
比較的穏やかなイメージがあった。
その背景には昆明の都市計画に黒川紀章が深く関わったことや、
日本のODA事業、民族研究者が多数訪れていたからかもしれない。
一方で、政府の安保法制案や戦後談話など、面子や理屈だけで
誤解され、現地関係者の努力が無駄にならないように願うばかりだ。

Posted by Katzu at 01:26│Comments(0)
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