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Posted by TI-DA at

2014年12月30日

視点を変え見えてくる悲しい風景

 今年印象に残った風景を振り返ると、多くの自然災害の映像が甦り、
美しく喜びに満ち溢れた風景は忘れ去り、悲しい事実から感性が刺激され、
やがて歴史から逃れられない風景がとり残されてしまう。

○ 削られ埋立てられる沖縄




 沖縄の開発は海砂を浚渫し、山を削り、海を埋め立て進められてきた。
奇跡的に守られた瀬底島のサンゴ礁から見上げる本部の土取り場は、
環境破壊のエピタフ(墓碑銘)である。
海洋博の名のもとに本部の海が失われたように、また山が一つ無くなり、
海浜が埋め立てられようとしている。もうこんな悪循環はやめよう。


 沖縄愛楽園から見る海



 屋我地島にある国立療養所愛楽園はハンセン病療養所で、
病院関係者と釣人以外は訪れる機会の少ない場所である。
防空壕あとや専用の港もあり、敷地奥の慰霊碑には
社会に知られず亡くなった患者や子供のために、花がいつも献げられている。



この先の海岸の隔離された空間から望む古宇利島の海の色は、
観光客に知られることなく、雲の動きとともに変化する
本島では最も悲しいほどに美しい海の景観である。


○ 転石の台湾少数民族



 山の民が戦争の末、河口の平地に降ろされ、支配者に迫害され
海の民とも交流し、日本の盆踊りや運動会の形態を残しながら
南洋の色彩と意匠に彩られた台湾少数民族の豊年祭。
彼らはどれほど周りの歴史に翻弄され、動き続けてきたのだろう。


 ネイティブアメリカンの嘆き



 アリゾナ、ニューメキシコ州にまたがるナバホ族の居留地は、
オクラホマ州のチェロキー族と並ぶ広大な居留地で、近隣地域の
サンタフェ周辺は、インディアン文化の色濃く残る地域である。



街の至る所に見られるインディアンアートは長い歴史の上に積み重ねられ、
ようやく輝きを取り戻したものであるが、荒野を駆ける風は今も冷たく、
列車で弾く青年のギターの音は寂しい憂いをはらんでいた。




○ 黒人差別主義の正体



 マーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺されたメンフィスのロレインモーテル2階。
当日死を覚悟し集会に参加したという彼は、この視点から凶弾に倒れた。
併設の国立公民権博物館の入口では黒人の学童達、白人観光客に混じり、有色人グループが
雑多に並んでいたが、黒人差別の歴史を観て進むうちにその内容の重さに
神妙になり口数も少なくなり、出口付近では完全に各人種グループに別れていた。



ちょうどミズーリ州の黒人少年射殺事件が発端となり、
全米にデモが広がり、黒人差別問題が露呈した時期であった。
一部の役人や警官、車掌の中には、マイノリティに対する差別意識を持つ白人男性がいて、
彼らに接すると50年近く経っても変わらないアメリカ社会の病巣が見えてくる。


○ 戦争に向かうアメリカの風景



 ケネディ大統領が撃たれたダラスのエルム街。
右側の教科書ビルの6階から映像のイメージよりもかなり近い距離で狙撃された。
この先は鉄道線路をくぐるため急坂となり、狙撃地点は道路の縦断線形の
凸部頂点にあたり、ちょうどクレー射撃と同じ狙いやすいポイントになる。
犯人は間違いなくパレードのルート変更を指示した人間だろう。

銃社会のアメリカは、軍需産業が経済を牽引し戦争の親玉を作りだしてきた一方で、
戦争に向かわなければならない若い兵士の悲劇も生んだ。



 サンフランシスコのフォートメ-ソン。
この港からゴールデンゲートブリッジをくぐり、
第二次大戦中には165万人もの兵隊が送り込まれた。
アジア人にとっての金門橋は移民の憧れの目的地でもあり、
敵国の事情など知る余裕もなかったが、逆の視点に立ち、
橋をくぐり太平洋戦争に向かう若者の気持ちを思うと、
この夕陽がやけに悲しく見えてくる。




  


Posted by Katzu at 11:52Comments(2)環境デザイン

2014年12月21日

ヤンバルクイナの郷

 

 国頭村安田(あだ)は、やんばる北部の東海岸にある集落である。
幹線道路から離れているため観光客も少なく静かで、
単独コミュニティとして沖縄本島に残る数少ない村落の一つである。

昨年参加した安田のシヌグは、国指定の重要無形文化財であり、
古い沖縄の伝統・祭儀が今も受け継ぎ残されている。



自然環境が豊かなやんばる地域にあって、
安田は最もヤンバルクイナが確認される地域である。
ヤンバルクイナは、東海岸の奥集落から安波集落にかけての
県道70号と、横断道路の県道2号沿いでよく見られる。
その核心部に当たるのが安田集落の山域なのである。



 この日は辺戸名から県道2号で横断したが、見かけなかったため、
最近オープンしたヤンバルクイナ生態展示学習施設に立ち寄った。
この施設は、国頭村の施設でNPO法人やんばる・地域活性サポートセンターが管理し、
野生動物の保護救護活動を行うNPO法人どうぶつたちの病院沖縄が飼育している。
同地区にある環境省のヤンバルクイナ飼育繁殖施設とも連携して、
個体の維持・繁殖を図りつつ、一般の人への説明を行っている。



 二人の館員がクイナの性質や飼育状況をガイドしてくれた。
丸々太った一羽の雌が飼育されていた。
冬に備え太る傾向にあるが、それでも餌の量は通常の半分にしているという。



給餌の時間になると、突然すごいスピードで駆けてきた。
道路からあわてて土手を駆けあがる、あのスピードだった。
人を警戒することなく餌をついばんでいたが、突然また走り出して草陰に隠れた。
カラスが空中を飛んで行ったためだと説明があった。



カラスは山奥にも生育し、ノグチゲラなどの巣の雛を狙い、
ヤンバルクイナの成鳥も襲うことがあるという。
北部訓練場を飛来する米軍ヘリには、どれほど驚き
人間以上のストレスを受けていることだろう。




 安田集落は人口200名、格子状の街区で構成され、共同売店、診療所、小学校、
派出所など基本的な施設が1軒ずつあり、それぞれ個性的に村づくりに貢献している。



集落には2軒の民宿があり、河口に近い民宿に泊まった。
畑も作っているらしく、魚主体の朝夕の食事も新鮮で、満足のいくものだった。




 昨年のシヌグの時には、集落内は数百人の観光客であふれかえっていた。
離島に残る豊年祭と同じく、前日の神儀から始まり、神人からみそぎに
至る祭りには、遠い南洋に通じる壮大なロマンがあった。




夏の朝にはヤンバルクイナの鳴き声が響き渡り、村のはずれに降りてくる。
春の繁殖期には、つがいの鳴き合う声がさらに大きく、出現回数も増えるという。



夜1時頃、対岸のマングローブの森から、ヤンバルクイナの鳴き声が聞こえ、目が覚めた。
外に出ると雲も晴れ、ひんやりとした空には冬のオリオンが輝いていた。



朝の河口は干潮で干潟が現れ、ヒルギの足が見えていた。
宿の女将も、食堂から川の移ろいゆく景色を眺められるのもいいものですよ、と語った。



同じ北部の沖縄に居て、これほど静かで心地よく、自然との境目で暮らすことを
意識する住環境があることに改めて驚いてしまう。



ここは、沖縄本島に残る自然環境と歴史環境の
バランスのとれた最後の沖縄集落なのかもしれない。



  
タグ :沖縄


Posted by Katzu at 22:17Comments(0)沖縄

2014年12月09日

世界一と言われる水族館

 70年代、日曜の夜に放映されていた『クストーの海底世界』は毎週楽しみで、
カリプソ号に乗り海洋調査をする彼の姿には、憧れに近いものがあった。
中でもモントレー湾を紹介したシリーズは特に印象に残っている。
バブル期の水族館ブーム以前から、各地の水族館には足繁く通ったが、
子供も大きくなり、海の知識や経験が増えるほどいつしか足も遠のいてしまった。
どの水族館もテーマパーク化してしまい、展示も特徴がなく展開が予測できるようになった。



 その中で、沖縄美ら海水族館は、大きな水槽ができ観客数でも世界一となった。
水槽の大きさではさらに巨大なドバイ水族館ができ注目されたが、
今年、中国広東省の長降海洋王国が世界一の規模になった。

しかし、派手さや規模とは裏腹に、世界には常にトップに評価される水族館がある。



カリフォルニア州のモントレーベイ水族館(Monterey Bay Aquarium)である。

今年で30年の歴史を持ち、その先駆的な展示と運営には
多くの水族館関係者が参考としつつ、現在も目標となるべき水族館である。

世界一と呼ばれる水族館とは一体、他とは何が違うのだろう。



 モントレーベイ水族館は、サンフランシスコから南に200kmのモントレー湾に面している。
スタインベックの小説で有名なキャナリーローの終点付近の道路角にあり、
その入口は意外に小さく建物にはなぜか煙突が出ている。
その理由と、この水族館の特殊性と趣旨は入ってすぐに理解できる。



エントランスは、地域を支え同敷地内にあったイワシの缶詰工場の設備と歴史の説明から始まる。
この水族館のメインテーマは、モントレ―湾のカタクチイワシなのである。




有名なケルブの水槽が巨大である理由は、全長6mのケルブが育つ環境と同じに保つためである。
ケルブに巻きつくようにイワシの群れが一つの生体として回る様子は、見ていて飽きることがない。




日本海に潜ると、海藻と波の動きに位相が生じ、魚だけでなく岩が動くように感じ酔ってくる。
この水槽の波に漂うケルブも生き物の様に動き、じっと見ていると海中と同じ感覚に陥った。



魚以上に、海洋植物の生育環境を整えるのは容易ではない。
ケルブの光合成を促すため屋上施設はオープンで、温度と酸素を自然に保つ為に放水している。



イワシの回る360℃の水槽、イワシの行動と漁の方法など、イワシは何度も登場する。




 海辺の環境を保ち、海鳥が遊ぶゾーンがある。
干潟のセイタカシギ、ネコザメと泳ぐアシシギ、水中を遊泳するウミガラス、
外界とは遮断されているが、すぐ手が届く距離にいる。



 展示の方法もひと工夫されている。
ただ単に、多くの種類を同じ方法で並べる手法は取られていない。



クラゲなどは特に過度な電飾で芸術的に表現することなく、背面はブルーで統一されていた。
世界の魚をあまねく紹介する趣旨ではなく、カリフォルニア以外の環境の生物の展示は少なく、
例えばサンゴ礁の生物などはたった3つだけの水槽であった。




水槽のディスプレイを見ると、垂直平面の窓だけではなく、
張り出し型の三角水槽、中央に配置された球形の水槽もある。



国内では屈曲率が高い水槽は観察に向かないとして敬遠されるが、
子供達が周りを囲い込んで立体的に見ることができる。
屈曲は感じないので、厚みを補正した高価な水槽である。




子供に飽きさせない工夫は、どの水族館よりも優れている。
館内のオブジェだけでなく、大人にも興味を持たせる魚やタコの模型は、子供の遊具でもある。



幼児や児童のための教育にも熱心に取り組んでおり、
館内フロアの約三分の一は子供のためのスペースである。




環境教育のコーナーも、他と同じレベルの展示で手を抜くことがない。
海洋投棄されたゴミは、実際の海中の姿で表現されている。




シーフードを検索し料理を見るレストランという、ユーモアのあるコーナーもある。



この水族館には、イルカやアシカのショーはない。
欧米の水族館では動物愛護の観点から、動物に芸をさせないことが認識されつつある。



 水族館周辺の海岸では、カリフォルニアアシカやゼニガタアザラシが普通に見られる。
個体数の少ないラッコは館内プールで見ることができるが、周辺海域すべてが、
タイドプールで海とつながった巨大な水族館なのである。
地域の環境を守り、その自然の姿を観客に提供するという理想のもとに運営されている。



 この水族館の設立を支えたのはヒューレット・パッカード社の基金で、同様に
モントレー湾水族館研究所(MBARI)が、海洋研究の先駆的な役割を果たしている。
研究は、海洋工学、海洋生物学、海洋地理学、海洋化学他多岐にわたり、
毎週のようにセミナーが開催されている。

水族館を支えるボランティアやメンバーシップ制度も豊富で、
観客向けのプログラムは、毎日10コース以上設定されている。
体験型のタッチプールでは、子供だけでなく大人に対しても
専門的なことについて知識のある研究員が、数名で対応してくれる。




 民間団体であるため、政府に対しても明快な意見を述べる立場をとっている。
ホワイトハウスに、海の環境を守るように各自で意見を出そうというコーナーもある。



入場料が40ドルと高額で、交通の便が悪いにもかかわらず、
入場者数は年間200万人と日本の海遊館と同等の集客力を誇っている。




モントレーベイ水族館のスキームが見えてくる。

〇 水族館の展示の明快なテーマ
〇 地域の海洋環境の紹介と研究
〇 子供の環境教育の場の提供
〇 地域の環境保護活動、会員制度・慈善活動との連携

 日本では旭山動物園をヒントに生態を見せる展示も増える一方、鶴岡市立加茂水族館のように
世界一のクラゲ水族館として特徴を出すような地方水族館も現れ、
提供する側と受ける側の関係が密接に発展していく次の段階に来ている。



  
タグ :海の環境


Posted by Katzu at 20:24Comments(0)海の環境

2014年12月05日

アメリカの公共デザイン

 アリゾナ州メサ市は、ソノラ砂漠に建設されたフェニックスの大衛星都市の一つで、
人口45万人のアメリカ国内で、近年最も発展したブーンバーブである。
ブーンバーブ(Boomburb)とは、急発展あるいは流行(Boom)の、
郊外(Surburb)に拡大する住宅都市を意味する新造語で、
最近のアメリカの街づくりを知るには格好の都市である。



各大街区のクラスターは各事業者ごとに開発された。
そのため、この街のデザインは、多種多様で、

・ 公園を中心とした田園都市型
・ アプローチが制限されるスーパーブロック型
・ 別荘開発に見られる個別アプローチ型
・ ゴルフコースの地形に合わせた用途追随型
・ 行き止まり通路のクルドサック型
・ 従来の低層戸建住宅地のグリッド型


                                             (詳細)
さしづめ、『街の博覧会』のようなクラスター型の都市モデルなのである。
一見、設計者の自由な発想で計画された印象があり良い教材になるが、一方で
クラスターごとに開発者の意図が違うため、チグハグな印象の都市が生まれた。
住民にとっては、各コミュニティで生活できれば支障ない訳で、アメリカ型の
個人主義的かつ合理的な都市経営スタイルが反映されていると言える。



 公共物のデザインについては、各州各地域により異なるが、全体的に自由度は
高く、200年以上経つ歴史的構造物も現れ始め、新旧の対比が生まれつつある。

1、街のオブジェに関する自由度 
 駅前で最も目につくこのオブジェは、一体何なのだろうと見上げた。
驚いたらいいのか、笑っていいのか、土地の名産なのか。
何もない駅前で、この新鮮さに一人ほくそ笑んでしまった。
借景の少ない大陸では良いランドマークとなり、教義じみた理由などいらない。
日本の公共物デザインは、意図がなければ採用されない。
ある駅前のトンボを乗せたデザイン時計の提案に、役所の担当は
だれでもわかる趣旨がなければNoだと言った。
しかも、短絡的に土地の名産をデザインしただけでは国の補助金は付かない。


         カンザスシティ駅前のスズメバチ

 美術館となれば、さらにその自由度は増す。
アメリカンデザインとして教科書に載っていたこのオブジェ、
なぜ巨大なシャトルなのか、ずっと気になっていた。
今回足を運んで、やっとその理由がわかった。
これは、知的好奇心を掻き立てる美術へのエントランスなのである。


           ネルソン・アトキンス美術館

 突然、車窓のミシシッピ川岸にピラミッドが現れた。
はじめ、これは巨大公共物の悪い例だと感じた。
中国の遊園地の知的財産侵害を非難できるものではない、と。
近づくと水漏れがするらしく、あいにく工事中であった。
このピラミッド近くに、ここがミシシッピ川汽船の中継港だったと記されている。
メンフィスとは、ナイル川の古都から取った地名であることもわかった。
一体、どれだけの観光客がこのピラミッドの意味を知っているのだろう。
デザインとは、知識と直感のどちらが先行するのかいつも迷う。


            メンフィス:ピラミッドアリーナ


2、造形物に対する態度
 映画やテレビで知るニューヨークと違い、明らかに減ったと思われるものは、
浮浪者、地下蒸気の漏れ、ストリートアートとは微妙に異なる落書きである。
景観と防災防犯に関するため、市当局が取り締まりと整備を強化した結果であろう。
建物や公共物への落書きは犯罪として対処したために徐々に減少し、
今なお荒廃した建物には落書きが残る。道路には自転車のサイン類が増え、
反核、市民権などの垂れ幕が目立つ。



市民はいざというときは、デモにより公共物を占拠し自己主張する。
一方で倉庫や公共物などをパブリックアートとして利用できる場を与えることで、
幼児から青少年の自覚を促す一方、大人の社会参加の場を提供している。
LA市警察前の公園では、市民団体が貸し切り子供とのパブリックアートを主催していた。



日本人は民度が高いと言われるが、公共物に関してはマナーが悪く、
デザインはシンプルで、素材は壊されないものを求められる。
タイルより強い磁器でさえ危ないと言われ、案の定割られた経験がある。
海外の公共物には文化財でなくても公園等でタイルを使用したものは多い。



ニューオリンズでは、店のガラスは割られても、歩道の車止めには高価な意匠が施されていた。

 



シカゴの高架鉄道は19世紀に建造された鉄骨造で、基本的に同じ構造で維持運行されている。
不便でも古い物への愛着は強く、鉄骨と木の床は、生きた博物館のような趣きがある。



蒸気機関車の展示や、古い車両の利用は日本以上に盛んで、鉄道ファンがそれを支えている。
日本のマニアとの違いは、写真を撮り乗るだけでなく、駅の一部を借り博物館を作るほどである。



3、維持管理に関する考え
 アメリカの街を歩いてみると、公共物に掛ける資金力と、質の高さと管理の考えの違いを感じる。



芝生は修景のために用い、養生期間は立ち入り禁止が基本である。
いつも人を入れては均一に育たない。日本では、芝生は芝刈りの管理費がかかるので、
マサ土で雑草を抑えるようにと、行政から本末転倒の指示を受けることがある。
芝を張るということは、ランニングコスト重視で芝を育てると言う意味である。



サンノゼでは中央分離帯に玉石を埋め込んでいた。以前、雑草対策の一つに
提案したことがあったが、会計検査に引掛かるからと一蹴された経験がある。



モントレーの公園のアプローチや園路に、大量で良質なウッドチップが利用されていた。
軽いものは風で飛んだり雨水で流れるため、均一で角のない素材を吟味する必要がある。
日本でも最近増え、7年ほど前公園の園路に使用したが、庭のインテリアに使えるため盗まれた。



アメリカの街路照明の照度は、日本に比べかなり低い。
しかし、個人のライトアップの意識は高く、地域の特徴をうまく引き出したものも多い。



サボテンは、民地横断を禁止する緩衝緑地帯の役目を果たしていた。



 道路の構造については、リサイクル素材、ヒートアイランド対策、公共交通機関の導入、
省エネ技術などは、日本で採用されつつある先進的な道路の考え方とほぼ同じである。
むしろ、アメリカで考え出され、日本が追随しただけではないか、とさえ思ってしまう。
日米の大きな違いは、道路を通した教育、モニタリング、雨水の考え方である。
この例では、路面排水は浸透式で、たった2年確率の排水施設で受け、
雨水を自然サイクルの中で還元させる方式をとっている。
歴史的に、洪水よりも干ばつ被害が多いためであろう。


             Chicago Blue Island Avenue           (詳細)

 アメリカは日本より豊かな国で、維持できる素材を利用し更新しつつ、
民間も含めた管理システムをつくり、公共物を維持管理している。
公共物を壊すことに関しては、徹底した罰則を持って対処する。
反面、公園に銃持込みを禁止する看板を掲げなければいけない程、
危険で緊張する公共空間を生み出してしまった。

 

  


Posted by Katzu at 19:39Comments(0)環境デザイン