【PR】

  

Posted by TI-DA at

2013年04月29日

科学者・専門家の責務

 大震災後の日本周辺の環境の変化、被災地の復興、福島の汚染・除染状況、
原発汚染水の除去、放射性廃棄物の管理など、科学が率先して克服してきた課題が
次々に崩れていく中で、経済復興に邁進しようとする前にやるべきことはたくさんある。

いつ起きるかわからない南海沖地震の予知と防災対策も大切だが、
歴史が証明している関連火山の噴火モニタリングや、東日本大震災関連の地震対策を
優先的に計画、防災工事を進めるべきだろう。
整備事業の優先性を考慮し、防災対策の整備プログラムを明らかにする必要がある。


              飯舘村

福島第一原発の警戒準備区域近辺の空間線量が、当初試算より下がらない現状を見ると、
事故がまだ終息に向かっていないことは明らかである。
2年前に、除染・補償よりも、集落移転を勧める土地方策を選択すべきだったのが、
今では、2900万㎥の汚染土の除染を1兆5000億円かけて行うことの是非を議論し、
否定し、それを動かせる人もいない。5000億円もあれば、避難民10万人の新しい街が
できることを知る人も少ない。この点で政府は大きな政策ミスを犯したことになる。


           汚染状況重点調査地域

一方、科学者、技術者、設計者、施工者が克服すべき課題は限りなく多い。

 地下貯水槽から放射能汚染水が漏えいした問題にしても、数字に縛られ施工してきた
設計基準というものは、一体何だったのだろうか、という感が否めない。
毎日400トンの汚染水が流入し、5万8000トン貯蔵予定の内のたった120トンが流出した
というレベルの話ではない。

漏れてはならぬ汚染水の水槽が、公園の池の構造と変わらぬことに驚いてしまう。
これでは、水漏れセンサーとシートを1枚増やしただけではないか。
しかも、その水漏れセンサーの設置部分から漏れたと報じられた。
普通の池でも、蒸発した水量以上の水が減り、漏水は起きる。子供が漏水した穴を
手でふさぎ、堤防を守ったオランダの逸話のように、それは針一本の穴から始まる。
厚さが60cmの水族館のアクリル板を見ればわかるように、深縁部の水圧は大きく、
ベントナイトでは100%の遮水は不可能である。ベントナイトといっても、公園の
ビオトープ池などで使用するが、所詮、堅い粘土のことである。
水ガラスか、360度密閉施設で保護しなければ完全に漏水を防ぐのは無理なことは、
少々の経験と知識があればわかることではなかったか。

たった一つ同情すべき点は、
造らなければならないと命令された、設計者のストレスとジレンマだろう。

放射性廃棄物の超長期地下貯蔵問題にしても、解決の方向性が見えないのならば、
あいまいな基準を作り、それを推奨してきたことの非を責められるべきだろう。
その物理的な解決策と理論構築ができないのならば、関連の科学者・各学会は、
遅ればせながら原子力を否定する声明を出すべきではないだろうか。

 現場に行くと、誰が、何を、どうやったらいいのか、五里霧中のなかで、
過去の腫れ物をさわるように、早く忘れ、明るい未来を信じて、
経済発展に邁進しよう、という気には到底なれないのであった。


              南相馬市  


Posted by Katzu at 13:15Comments(0)原発

2013年04月20日

震災2年後

 あの震災は一体何だったのか。他人に説明できるように、1本のファイルに
まとめようとしているが未だにその作業に掛かれない。
海外では幾度となく質問され、それを伝えていく立場を与えられても、
原発事故後のことを思うと、コメントすら言葉に詰まる。
震災後が長く続く中で、まだ結論を総括することはできないのである。
被災者でなくても、日本人としてそれを心に背負ってしまったことは、
責務として心に留めておかなければならない。

 震災前に設計・計画屋としての筆を置いた。
このまま自分の思いが伝わらないストレスのある事業を進めるより、
違う方法をもう一度自分の中で整理しようとした。
そして、あの震災が起きた。
もう一度戻らなければならないという思いとは裏腹に、
また同じことを繰り返す返すことは苦痛でしかない。
それよりも何よりも、手が動かなかった。
あの津波の前では今までの技術など、何の力にもならないことを知ってしまった。



 故郷に帰るたびに、記憶を薄めることなく、被災地に赴くようにしている。
今回は三陸の集団移転開発予定地に行く予定だったが連絡が付かず、
いつも気になっている福島方面に向かう。
昨年と一昨年、警戒区域周辺の同一地点の空間線量を計り、
昨年は平均的に3~4割減少したことを確認した。
果たして、セシウム134の半減期の2年が経過した現時点で、
総合的な空間線量はどう変化しているのだろう。
個人的に、補正値なしで簡易的に測った。

 山形から宮城県川崎、名取、相馬を過ぎるまでは0.1 μSV/h程度で依然と変わらず高くない。
福島第一原発から20kmの南相馬市の警戒区域縁端でも、0.2μSV/h程度であった。
耕作されていない農地の先に原町火力発電所がある風景は、複雑な印象を受ける。



県道12号から西の飯舘村に向かうと、除染作業中の現場を煩雑に見かけるようになった。
この県道は避難指示解除準備区域にあっても、一般車の侵入が認められている。
八木沢峠の山裾では、以前より高い0.9μSV/hという値を示した。



沢沿いに渓流が集まる集落は、山から土砂とともに放射能も運んでくる。
事故後、専門家が放射能を右から左に移すだけだ、といったコメントはある意味で正しかった。
総体的に空間線量が低くなり薄まりつつ、水と風が集まるべき箇所は
以前に増して、高くなっているという印象である。



 事故後、国は土地をある期間補償し、土地集落単位で新しい土地を提供すべきであった。
借地権、土地の選択権を集落単位で行う新しい都市のシステムを提案しても、
回答も動きもなく、既成のシステムで事業が進んでいく。

ポリテクスの判断なくして、住民が我慢をしている間に、いよいよ非効率な
除染・廃土に踏み切ったような、テクニクスのない浪花節的手法が繰り返されている。

 避難区域最北端の虎捕山の山津見神社に立ち寄る。
周辺の集落は、既に避難したと見られ、農地にススキが目立つ。
神社の駐車場は空っぽで、すっきり整地してあった。
除染のため土砂を入れ替えたようだった。
奥に入ると前回より広く感じたのは、神社の本殿がなくなっていたためだった。
主を失くした猫が擦り寄り、守神の白狼だけが、南に向かって吠えていた。
膝を落とし、脱力感と、何かとてつもない戦いがあったような畏怖の念を覚えた。



 飯館村のこの地区は、昼間に出入りができる避難指示解除準備区域に
なっているが、現在農作業は行われていない。
神社の一家が最後まで村に残り、火事に会い本殿が消失し、
宮司の奥さんが亡くなったことをあとで調べて知った。
1年前に神社の氏子の方と、この辺は生活できる放射線量らしいことと、
この山域が放射能の拡散を防いだ、白狼の御利益の話をしたことを思い出した。
集落の結いと安全が失われ、その千年に及ぶ伝統と宗教を守ろうとした末に起きた悲劇であった。
現地に行けば、氏子でなくても、何か再建に協力したいと思うはずだ。



皮肉にもこの地区は周囲に比べ空間線量が高く、この日も2.0μSV/h近い値を示していた。
春の花だけがひときわ目立って、薄倖の美を魅せていた。




 隣りの県に住んでいても、隣りで何が起きているかわからない。
少なくとも福島の被災地の人々は、人類史上経験したことのない
災難に、今も対峙している状況にある。
あえて話題にしないことや、経済の活況の陰で忘れてはいけない。
原発問題が単に補償問題にすりかわることはない。
我々のできる最小限の助けは、忘れず寄り添っていくことであると思う。



谷を越え伊達市に入ると線量は低くなり、桃の赤とレンギョウの黄色、
サクラの薄紅の美しい福島の集落をすぎて行った。  


Posted by Katzu at 10:35Comments(0)原発

2013年04月13日

東南アジアの開発の方向性

 東南アジアの開発は、欧米諸国の植民地政策から始められた。
現在は中国、韓国、日本が加わり、各国の政権と歩調を合わせ
開発援助が行われている。



        メコン川沿岸開発道路 ビエンチャン

注目されるのは中国の南下政策で、メコン、メナム(チャオプラヤー)、
イラワジ(エーヤワディー)川沿いに中国経済の影響力が増大しつつある。
その基軸となる中国とラオス、タイ、ミャンマーを結ぶ道路は、
中国の南北経済回廊とも呼ばれる。
中国南部国境に接するラオス、タイ、ミャンマー北部の市場を
支配しているのは中国製品である。



        ラオス北部の中国系量販店

中国とミャンマーとの関係は、石油天然ガスのパイプライン建設、
環境問題となっている鉱山・ダム開発、ベンガル湾軍港借財など、
日本が軍事政権に経済封鎖を行っていた時期に進められている。
現在ミャンマーと日本との貿易割合は5.5%と低く、中国に大きく遅れを取っている。



 一方、日本の開発方向は、メコン総合開発を推し進める一方で、中国との
競合を避け、アジアハイウェイを主軸としながらも、東シナ海からベンガル湾に
かけての陸の東西ルートを中心に開発援助が進められている。
東西経済回廊と呼ばれるこの計画には、タイのミャワディからのヤンゴンまでの
タイ・ミャンマー最短ルートの道路整備が最重要であるとのJETROの報告がある。



        イラワジ川 中部マンダレー

一方でこの報告書は、少数民族紛争が両国の足かせとなっている点を指摘している。
そもそもミャンマーの少数民族問題は、多数のビルマ族に対し、
イギリスが周辺少数民族に、保安防衛機能を与え統治したことに端を発している。
135に細分されるという少数民族は、各国境付近に散らばっており、現在も国境の町は
隣接国からの出入りしかできない町も多く、国家として完全統治されていない。
内陸のマンダレー、バゴ-管区の一部でさえ、先月イスラム教徒と
仏教徒との衝突が起き、夜間禁止令が出されている。
中国国境のカチン州、バングラデッシュ国境のラカイン州は反政府活動があり、
現在も、渡航要検討の危険地域である。

          
          ミャンマーの少数民族地域

日本のODA事業は、メコン川の橋梁整備を主体に
東西国間のボトルネックの解消に効果を発揮してきた。


            外務省

戦略的に遡ると、第2次世界大戦の連合国側が策略した、
インド中国ルートを確保し、中国の南下を支援した動きと、マレー半島を横切り、
ビルマ、インパールへ続く大東亜共有圏を画策した日本軍の東西の動きは、
現代の中国を中心とする南北経済回廊と、日本の東西経済回廊を中心とした戦略は、
実は過去と同じ構造・方向性であることにに驚く。



一方、この戦略構想のネックとなったのは、
地域間を隔てる異なった民族との闘争の歴史でもあった。
計画論的にも、自然地形、国の歴史、民族分布、左右交通の違いを
前提に考えれば、東西を強引に結ぶ案には少し無理がある。

広域の物流インフラは、グローバルな流れを作り、新しい街が発展するかもしれない。



         メナム川の海運 バンコク

 しかし、母なるメコン川、メナム川、イラワジ川の作った川の文化圏は、
南北にその独自性と民族の独立性を保ってきた。
その地域の広域幹線が整う前に、点と点を強引に結んだ開発は
リスクが高く、地域の独自性とその環境さえ失われる可能性がある。

歴史は繰り返され、川の流れは変わらず海に注ぐ。
  


Posted by Katzu at 20:34Comments(0)アジア

2013年04月08日

引越しの環境診断

 引越しによる環境変化は、大きなストレスとなる。
時間のない場合は単純な選択肢で決めてしまうが、いざ物件をさがし比較すると
その決め手となるものは特になく、時間も限られ、最後は直感で判断してしまう。

土地を供給する立場に立つと、その土地の適正な評価をし、
その土地に合った建築物が機能するように各宅地を分析しなければならない。
引越し条件も、同様の指標で分析すると、判断に困った場合は
理屈で自分を納得させてしまう。
その簡単な評価方法を、いつも応用し取り入れてきた。



 環境を決める要素は、不足しているもの、必要とするもの、いらないものに分けられる。
居住環境を決める要素を羅列して、整理すると、

自然環境としては、
地形、土地の標高、地質、災害履歴、風の方向・強さ、日照、気温・湿度、
雨量、積雪量、騒音、振動、電波塔の電磁波、ホットスポット的な放射能、
工場・畜舎等の臭気、その土地の造成履歴などがあげられる。



社会環境としては、
住商工の用途地域、電車・バスの公共交通の利便性、高速道路等の広域道路、
住宅周辺の道路、電気・ガス・上下水道・学校・公園等の公共施設、
病院・保育園・等の公益施設、宗教施設、防災避難施設、携帯・WIFAI等の電波環境、
住民構成、買物の利便性、街灯・犯罪発生等の治安、近くの史跡・観光地、
地域の将来計画、風評、いわれ、などがある。



個別環境としては、
取得に関わる初期費用、諸経費を含めた家賃、これらイニシャルコストと
ランニングコストを含めた想定居住期間の総費用、建築物の築造年、Netの接続環境、
BS放送、台所、トイレバス、階層、駐車場の有無などの住宅環境がある。
さらに個人の趣味、嗜好に基づき、眺望、運動場、海・山・川、飲食街の有無がある。
これらは朝と晩、現地に行って調べるのが原則である。
次にこの要素を表に簡単にまとめ、点数化する。
この段階でわからない項目は省く。

騒音・振動・電磁波・放射能は、専門家に調査依頼した方が良いが、
少しの知識と簡易な機械で、簡易的に比較し求めることもできる。
以下は、実際に3物件を比較したものである。


          
          住宅選択の比較表詳細

 不動産とは、高いものはそれなりの、安いものもそれなりの理由がある。
結果的には、現行再契約のA案は、住んでわかった欠点が多く、
厳選し残った2案は、まだわからない項目もあり甲乙つけがたく、
嗜好の強い方が、結局評価が高くなった。



引越しは人生で10回以上行っているが、何度経験しても
そのストレスは今でも変わらない。
もしその経験を伝えるならば、昔と変わったのは、
そのストレスを新しいことへの興味と、
生活を創造する楽しみに変えるように心掛けることである。
  


Posted by Katzu at 21:27Comments(0)街の環境

2013年04月04日

コミュニティのコミュニケ―ション方法

 大洋州の島々は、祭事が生活の中心であった。
現在の沖縄でもカレンダーは、年中行事で埋め尽くされる。
暦意外にも、各種イベント、冠婚葬祭、同窓会などが多く、
毎週、休む間もない印象をうける。



この多くの祭事を行う為には、コミュニティの結いが最も大切であるが、
それを伝える方法は、地域と規模により異なる。
特に離島では、島内放送があったり、マイクで起床や日々の情報が流される。
本島の集落では、広報車が、葬式予定その他の情報を流し走っていく。
広告類・イベント開催は、交差点や道路の横断幕で伝える。
南洋のパラオでも同じ方法で、イベントの数日前に知らされることが多かった。



 日本本土や本島都市部では、市報や各ミニコミ誌がその役目を担うが、
島の伝統を維持するためには、従来の伝達方法で行われる。
部外者や旅行者は、島内放送や突然の時報に驚かされることがある。
一方、その集落や各種団体に入り、生活を共有しない限り、そのコミュニティに
入りづらいのも事実で、一旦入り込めば出づらいほどの深い関係となる。

 アジアの地方集落はどうであろうか。
ビルマ中北部ニャウンシュエを例にとると、
朝6時すぎに、子供達の唄声が聞こえ起こされる。
若い僧侶達が、お経を唱え街を練り歩き、お布施をうける托鉢が行われる。
純粋な宗教活動であり、まだ観光客の注目を浴びていないのが救いである。



特に定期の市報などはなく、人伝いに情報が伝達する。
宗教関連以外にイベントは少なく、毎年暦通りに繰り返される。
マーケットは5日おきに開催される。



ディスコやライブハウスのないこの街では、音楽が流れるのは珍しい。
大きな音楽のする方向に向かい歩いて行くと、公民館に人が集まっている。
手招きされ中に入ると、新郎新婦が迎え入れた。



結婚式だったのである。
日本人の旅行者であることを伝え、困惑していると、料理の席に招かれた。
村の人も次々とやってきて、ワイワイと料理を食べて交代していく。



この村は、年々歳々の決まった年中行事と、すべての人を受け入れるという
宗教観に基づいた、独自のコミュニティのコミュニケーション方法を持っている。
外来者に対しても同じく接する態度に、いたく感心してしまった。



 沖縄本島の屋慶名では3日後、海中ロードレース大会があり、毎年1万人規模の人が
集まるが、今のところ横断幕と広報車以外に、まだ何の気配も感じられない。
Netで参加者も決まり、あとは前日に物理的な作業が行われる程度であろう。
そして、台風規模の天気にならない限り、つつがなくイベントは取り行われるだろう。
その手際良さとイベント慣れと南国的あいまいさ?にいつも感心してしまう。
伝達方法の違いこそあれ、多くの人を迎える行事の趣旨は共通である。
災害時にNetやテレビや携帯が、決して万能ではないことを知った日本人は、
宗教や伝統的なコミュニケーション方法や結いの強さを、もう一度見直すべきだろう。



  


Posted by Katzu at 16:12Comments(0)まちづくり