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Posted by TI-DA at

2018年04月21日

3.11の花蓮

 3月11日、台湾を左回りに一周し花蓮市に着いた。東日本大震災時には台湾から多くの義援金が寄せられ、その後、台南地震や今回の花蓮地震には日本から支援と募金が呼びかけられた。



地元では震災の中間報告が行われ、台北でも学生による震災慰霊が行われていた。志し同じく、自転車で感謝と慰霊の意思を伝え台湾を一周する日本人がニュースになっていた。花蓮には過去3度訪れお世話になったこともあり、気がかりであった。

 2月6日、マグニチュード6.4、震度7の地震が起きた。前後してペルー沖、アラスカ、ジャワ、パプアニューギニアの大地震が連続し、太平洋のRing Of Fireが活発化していた。この海岸北部は世界最大の海底山脈の断崖とも言われ、三陸地域の津波や平野部での液状化なども危惧された。
その都市型地震の被害はどの程度だったのだろう。




地震直後の災害対策の優先順序は、

1.人命救助、避難施設の確保

2.火災、電気、ガス漏洩の確認

3.交通・情報施設の確認

 実際は各管理部署により同時に進行する。
都市インフラの被害状況をいち早く知る方法は、構造物のジョイント部をチェックすることである。特に橋梁のジョイント部は地盤調査、構造計算、交通条件などの厳しい検証をクリアした土木構造物の中にあって、都市交通の集中する弱点部でもある。橋梁の伸縮装置、沓座拡幅、落橋防止などの構造設計を行った者は、その重要性に気付いているはずだ。
地震発生直後、花蓮大橋の車道は路面が隆起したと報じられた。市内の国道はすでに回復しているが、林森路の歩道橋台部の沓座は大きく損傷し歩道は通行止めになっていた。




目立った歩道部の段差は、埋設物が混在し歪みが集中する交差点部と建物出入口付近に多く見られる。歩道は、ブロック舗装 ⇒ インターロッキング舗装 ⇒ アスファルト舗装の順で破壊が進む。皮肉にも、最も単価の高い自然石ブロック舗装は一番先に壊れ、裸足同様で飛び出した避難者には危険である。




 南に100km離れた瑞穂郷では地震の被害はなかった。花蓮駅前に立つと、依然の街の姿と変わらない。サイクルショップで被害状況を聞くと、店舗には全く影響がなく、むしろ観光客が減ったことが痛いと嘆いていた。以前お世話になった日本人が経営する馨憶精緻民宿は、ほとんど影響なく営業していた。主人の話では、突き上げ、横揺れがほぼ同時に起きたが、それが本震だとわからず、さらに大きな地震の情報が入り、余震の不安が強く眠れぬ夜を過ごしたと語った。予知に関しては日本同様に情報が錯綜し、、台湾気象局の地震予知センターの立場も厳しい。




 台湾では日本統治時代の建造物が多く残され、良く整備・維持されている。花蓮の松園別館は戦時中に作られた将校、士官の招待所で、70年以上経った現在も琉球松に囲まれ落ち着いた観光施設である。



庭の管理人から日本語で声を掛けられ、地震の様子を聞くと「ここは日本が作ったので大丈夫。」とテレビのCMのような答えが返ってきた。彼は、むしろ地下壕の方を今の日本人に見て欲しいと言った。そこにはここから旅立った特攻隊員の資料が展示されている。ガラスの展示台が唯一被害を受けた施設と説明され、寄付金が募られていた。




 演歌が流れる将軍府と日式家屋群。民生社府のコミュニティが管理する大正時代の木造家屋で、歴史的建造物となっている。花蓮市内で最も古い木造家屋なので倒壊は免れないと思っていたが、被災した様子はなかった。
川を挟んだ病院の裏が倒壊したホテルであり、木造平屋とコンクリート中層建物との対比が印象的な光景だった。




 台湾の新しい建築技術より、日本の古い建築技術の方が優れていると言うつもりはない。熊本地震では死荷重の大きい古い構造物の被害が大きく、阪神淡路大震災では最新のスレンダーな橋脚が崩壊した。その責任は、未曽有の災害ということで問われないが、過度の価格競争から経費削減を行ったゼネコンだけでなく、新しい設計技術とコスト削減を指導した国交省や会計検査院にも非がある。



 地震はプレート境界型ではなく、震源は10kmと浅い横ずれ断層型だった。幸いにも津波や液状化はなかった。今回の地震でも気になったのは、ネットをはじめとする情報の拡散がデマや風評を生むことである。地震直後、ホテルの倒壊した映像だけが情報発信された。阪神淡路大震災のイメージがあり、あたかも街全体が壊滅したかのように印象付けられた。不良建築物で亡くなった方には申し訳ないが、必要なのは市民の安否を気遣う人への情報で、メディア側は街の被災状況を正しく伝える良心が必要だったと思う。



 避難計画は日本と同様に避難場所が指定され、街にも案内板が設置されている。避難路沿いには倒壊したビルがあり、避難路は機能しなかったばかりか危険路となった。日本でも、避難路沿いの建物の危険度チェックや耐震構造物指定などの法規制を見直す時代になった。  


Posted by Katzu at 16:15Comments(0)大震災