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Posted by TI-DA at

2012年06月30日

最後の都電と整備新幹線の幻想

 都内の路面電車は、東急世田谷線と
都電として唯一残った荒川線だけである。
改めて起点の三ノ輪駅から乗ってみて、
車中心の都市計画の中で、奇跡的に残ったその理由がわかってくる。

1、占有軌道区間が長く、安全定時運行が可能で、
  JRの2次アクセスとして機能していること。



2、車道併用区間が短く、電車信号により
  車交通を阻害していないこと。



3、高齢者利用が多く、町のコミュニティの一部として
  住民に愛されていること。




 日本型路面電車の歴史と、この路線の果たしてきた役割を再認識するばかりか、
都会に欠かせない将来の重要な公共交通機関であることに気がついた。
他の電車と同じく、震災時は停電のため止まってしまうが、それだけでない。
避難路として、火災緩衝帯として、公園・学校などの避難場所とともに
都市のオープンスペースとして必要である。
巨大プロジェクトより、住民目線の公共投資を優先させるべきであろう。

 将来の都電の姿はどうあるべきだろう。
荒川線が残った理由の2にあるように、電車が車に優先順位を譲り、
かろうじて存続したわけであるが、これからは低炭素社会に向けた
視点の転換が必要である。


                        
 具体的には、電車と車との優先順位を逆転し、電車の信号停止をなくし
電車の安定走行、バリアフリー化によりサービス向上を図る。



LRTを街づくりの基軸に位置付けることにより、
ゾーン内の車を排除し近隣商店街の再生を図る、
という理想的な街の姿が見えてくる。


 テッパクの愛称で呼ばれる鉄道博物館では、
新幹線の開業記念展が行われていた。
東京オリンピックに合わせた“夢の超特急”0系新幹線の開業は、
東名高速道路、東京タワーとともに高度成長時代の象徴であった。



デザイン的にも、ウルトラマン、鉄腕アトム、鉄人28号に共通する
光、パワー、人間的という共通するキーワードと夢があった。
学生時代に特別に見学したCTC制御システムは、
日本の安全神話そのものであった。



 その後、日本の鉄道は新交通システムという実験的な段階に入った。
しかし、安全と技術追求に特化し、交通システムの新構築までには至らなかった。
このタイヤトラムは、急こう配、小曲線半径の利点はあるが、
加速時の衝撃、不規則な揺れなどは、鉄軌道の定期的な連れと違い、
乗り心地は、慣れた専用軌道に比べ、バスに近くあまり良くない。



むしろ、様々な課題に直面しながら、狭い道路や急坂でも走る、
電車にもバスにも対応できるナンシーのタイヤトラムのような
斬新な新交通システムを目指すべきだった。
技術で勝っても、観念で欧州に先行されてしまった。


                フランス ナンシー:無軌道区間

 国交省が総事業費3兆円といわれる整備新幹線の工事を認可した。
テッパクの新幹線企画は、その前振りだったのだろうか。
“原子力村”ならぬ“新幹線村”に、利用者不在の政策が先行する。
税制一体改革、原発再稼働で揺れているこの時期に、
あまりに唐突で、納税者に対し説明不足の印象を受ける。



 1973年に作られたこの原案は、日本列島改造論の最後の亡霊でもあり、
フル規格の新規路線建設については、専門家でも疑問が残る。
新規新幹線の最悪のシナリオは、全体の需要が伸びず、
新駅から外れた地域のコミュニティが崩れてしまうことである。
建設費が安く、在来路線のコミュニティを維持し成功した
山形・秋田のミニ新幹線方式を参考にすべきであった。



 下町を走る都電に乗っていると、旅情の薄くなった新幹線に乗るより、
成田空港からLCCに乗って、早く温泉でゆっくりした方がいいなと思ってしまう。
  


Posted by Katzu at 09:30Comments(0)街の環境

2012年06月24日

音のある環境

 音の風景というNHKのラジオ番組があるが、
その土地特有の音というものがある。



台風の夜、雨雲が去り、ゴォーという音が聞こえてきた。
海の波涛の音だった。
海中道路が封鎖され車の音が消え、
いつもは聞こえない海の音が聞こえてきた。
離島の民宿で良く聞こえていた音だった。
珍しく眠れず、夜のしじまに、じっと耳を傾けていた。
沖縄ではこの台風がすぎ、梅雨明けすると、
エイサーの音が聞こえ始める。



 生まれ育った土地の音は、どんな音だっただろう。
蝉の声、川のせせらぎの音、祭りの音頭?いや違う。
雪の降る音というものがある。
シンシンと音がする、と言うと経験のない人は興味を持つ。



雪の降った朝はよく寝坊し、起きる前に雪が積もったとわかる。
雪が、普段の音を吸収し静かになるからだ。
沈黙の雪山で、突然聞くバシッ・ドシャと言う音は、
積もった雪で枝が跳ね上がる音だ。
The Sound Of Silenceという曲は、雪国の環境で創作されたものだろうか。



 南米ではいつも街中に音楽があふれていた。
国ごとに特長のあるフォルクロ―レ、ラテン音楽が至るところで耳にした。
リオでは、カルナバルの時期でもないのに、空港から歩道に至るまで、
音の洪水に覚醒され、いつのまにか体がサンバのリズムになじんでしまった。



 アジアの発展途上の国々では、なぜか朝早すぎるニワトリの鳴き声のあと、
クラクションの音とともに起こされるという音環境はどこも共通である。

 台風が過ぎた今朝の砂浜は、珍しく静かすぎて波もない。
大波で古いサンゴのかけらが、護岸ブロックの上まで打ち上げられていた。
サンゴ礁特有の、波でカラカラと響く音が好きであるが、
すぐ車の音でかき消されてしまった。

  


Posted by Katzu at 02:26Comments(0)街の環境

2012年06月18日

沖縄のLRT計画



 4車線で渋滞する国道330号をLRTが走る。
このような状況を思い浮かべる沖縄県民は、
はたして何人いるのだろうか。

 全国の中心市街地活性化の取り組みとして、
人と公共交通機関を優先させた、トランジットモールとLRTの導入があげられる。
国交省が導入支援策を提示し、各地で検討、実施され始めている。
この中で最も現実味を帯びてきたのが沖縄のLRT計画である。


                                       詳細
 昨年、パーソントリップ調査に基づく乗降客予測とLRT計画案が発表された。
沖縄中南部エリアの人口密度は2,300人/㎢と高く、
道路の混雑度は全国平均の1.2倍、
車利用の機関分担率は80%と同じく1.2倍、
道路の投資額は1.7倍となっている。
現在も、費用対効果の低い道路整備がつぎはぎ的に、各地で進んでいる。
LRT計画の那覇・うるま路線の建設事業費は、400億円と試算された。
数字的には公共交通機関の導入に必要な、
需要と供給のバランスが証明されたような結果になった。
うるま市選出の県議候補の多くは、うるま市までの鉄軌道の延伸を訴えていた。
しかも話題はLRTではなく、専用鉄軌道の話に進んでいる。

 軽便鉄道の夢を乗せ、交通渋滞の切り札にと考え形を変えながら、
那覇観光のシンボルになった、ゆいレールの導入経緯とは時代が変わった。



 計画路線の一つに当たる与那原のマリンタウンでは、
LRT計画が公表されている。
災害に強い公共交通を整備する視点から、
海沿いの危険な既存ルートを山沿いに路線変更し、
しかも採算の関係で、BRT(専用バス)になろうとしている三陸鉄道と比べると、
なんと平和で楽天的な計画だと感じてしまう。

 全体的には、用地確保と補助金が決まれば、すぐ計画が進みそうな情勢だ。

しかし、ここには大きな視点が欠如している。
国交省の提案する次世代型路面電車システムのLRTにするか、
専用鉄軌道にするかの議論より重要なのは、
公共交通機関をなぜ導入するかの議論であり、
住民レベルの意見交換が未成熟である。

そもそも、公共交通機関導入の利点は、

投資額を含めた低コスト、
低エネルギー、
バリアフリー、
安全定時運行、
環境負荷の軽減であり、
LRTの整備計画もこのような視点から進められる。



 利用者に理解されないままに進んだLRT計画は、ただの箱ものになる。
沖縄のバスの機関分担率は6%と低い。
バスの公共性の利点が活かされず、バス特有の低サービス、高コストから
経営を圧迫し路線が減るという悪循環を繰り返している。
那覇市からうるま市以遠なら、バスの往復運賃より、
レンタカーの方が安いのが現状である。



 沖縄では、車に依存する社会特性が、
公共交通機関の発達を阻害してきた歴史経緯がある。
バスがLRTに変わったとしても、この状況はなんら変わらない。

250m離れたコンビニに、徒歩か自転車を使わない交通特性の地域で、
駅間500m以上の電車を走らせても、人は利用しない。
ここから議論を始めなければ、公共交通機関の導入は論じられない。

専門家の意見が尊重されず、政策寄りの報告書が作られ
施工に至るのが、今の日本の現状である。
  


Posted by Katzu at 15:14Comments(0)街の環境

2012年06月15日

路面電車とLRT

 6月10日は路面電車の日だった。
私鉄の多い関西にあって、路面電車は京都の京福電鉄と
大坂の阪堺電車しか残っていない。
交通量の多いこの路線にあって、車の邪魔者にされながら
良く生き残ったと思う。



 開通100周年の阪堺電鉄に乗るため、天王寺駅に行った。
全国から鉄道マニアが集まっていた。
私の大学時代の仲間は鉄道マニアが多い。
趣味が興じて電鉄会社に就職した者もいる。
鉄道マニアは熱心で長く続け、熱狂を通り越して偏愛的マニアが多い。

 この電車は下町風情の残る古いタイプのチンチン電車である。
乗客は、老人・子供・妊婦など交通弱者が目立つ。



低床式ではないが、公共性の高い安全な交通機関として、
地域の人に親しまれているのがよくわかる。
市街地の中心を天王寺から堺市まで結ぶ生活路線であるが、
住吉大社、浜寺公園、通天閣を結ぶ観光電車として開発された一面もある。

路面電車の走行速度は40㎞/h、表定速度は15㎞/h程度であるが、
その特徴である、どこでも走る通行形態の多様性も伺える。

1、 車道の専用通行


2、 車道の併用通行


3、 鉄軌道の専用通行


さらに、路面電車同士の交差点形態まである。



 路面電車はニューヨークで誕生した。
その後ヨーロッパ各国で運用が広がり、日本には明治末期に伝わった。
この路線は明治45年に開業し、100年の歴史を走り続けた。
英語でStreetCar、ヨーロッパではTramと呼ばれる。
あくまでも道路を走る、車両の分類であり、通行形態は様々である。

 近年、これに類するLRT(Light Rail Transit)
次世代公共交通機関として、欧米を中心に導入されている。
日本では富山のLRTが導入されているが、路面電車との違いを、
新デザイン、低床式の車両をLRTと誤解する向きもある。
LRTとは、交通のプライオリティを持つ、都市型中量輸送機関システムのことで、
表定速度は20㎞/h程度を確保している。



 日本では、バブル期に新交通システムが発達したが、
用地取得の困難さを高架式にした、付加価値の高い、
モノレールや自走型タイヤレールの交通機関が主体であった。
ヨーロッパのLRTは、都心の車の渋滞をトランジットモールなどでシステム的に
解消し、郊外部には専用レーンで高速で移動できる交通計画のインセンティブを、
公共交通機関に持たせる思想から計画されたものだ。


      フランス:ストラスブール

 国交省の提案する次世代型路面電車システムという呼び方は、
日本型路面電車の発展形としてのLRTを、無理矢理結びつけた感がある。
今さら、車主導の交通施策を転換できないから、
システムとしての交通機関を海外に提供できない。
電車技術は世界レベルなのに、コンセプト・基準づくりがあいまいなので
産業として成熟しない。



そんなLRT論争とはお構いなしに、路面電車は市民の足となり、
今日も孤軍奮闘している。
  


Posted by Katzu at 00:30Comments(0)街の環境

2012年06月14日

都会の闇と光

 大阪市の動物園駅周辺は、通天閣やじゅんじゃん横町などがあり、
なにわ下町文化の色濃い界隈でもある。
一方、あいりん地区にも近く、治安の悪いことで有名である。
駅近くのホテルに泊まったが、夜間の罵声、バイク、パトカーと
救急車のサイレンで3回目がさめた。
基地騒音のある宜野湾市以上に悪い相隣環境である。



 次の日の昼前に、なんば周辺でかるい昼食をとるつもりだったが、
昼をすぎ約束の時間がせまっていたので、梅田に直接向かった。
丁度、地下鉄が心斎橋駅を過ぎた頃、通り魔事件が起きていた。
小さなコミュニティの島と違い、都会では大きなブラックボックスから
何が飛び出てくるかわからない不安がある。



 夕方、仕事を始めた頃の先輩と、京都近くで会った。
彼は私鉄沿線のコミュニティを大切に、生活圏レベルの街づくりを行っている。
仕事以外の生活を構成する人の集団は、都会生活には欠かせない。
コンサル仲間や先輩の中で、近年3人が亡くなっていた。
この業界は、仕事がないと全くなくなり、バブルになって儲かる仕事が増えると、
個人負担が増え、心身ともに健康を害するという不健康な労働環境である。



 先輩は北新地のジャズバーに誘ってくれた。
バブル期と余り変わらない雰囲気とその世界に、
今となっては異質なものを感じた。
10時過ぎに元の会社の同僚から、今仕事が終わったばかりで
行けないと電話があり、次回に労をねぎらう約束をした。
0時近く、ホテルからチェックインしないと施錠すると
連絡があり、急いで先輩と店を出た。
領収書には、いつもと桁が一つ違い、
さらに5をかけた領収書の数字が見えた。
これだから未だに頭が上がらない。



 関西では、普段は紙1枚を気遣う質素で倹約した生活を送っていても、
使う時は大盤振る舞いというタイプの人が多い。
関東では先行投資型、アクティブ運営で元を取っていくタイプが多い。
このような団塊世代の先輩方と付き合ううちに、
どれだけ多くの人生勉強をさせてもらったことだろう。

 久し振りに、都会で会う人達の変わらぬたくましさに、感謝と喜びを感じた。
そして、闇を駆け抜け、一つの都会の灯りに辿り着いた。
  
タグ :街の環境


Posted by Katzu at 02:54Comments(0)街の環境

2012年06月10日

30年前の約束



 市民幸福度日本一を目指す兵庫県明石市に来たのは、
明石焼きを食べるためだけではなかった。
初めて担当した仕事は、一生忘れることはない。
ある人との約束があり、計画した30年後のまちを訪れた。



 そのまちは何処にでもある住宅地で、中流階層以上の団塊世代を中心に
発達し、すでに落ち着いた雰囲気があった。
子育てを終えたシルバーエイジ世代の街の維持が、今後の課題になるだろう。
気になっていたのは、周囲の環境の変化、文化財保護、調整池の機能、
公園と緑道の関係、などであった。



周辺を歩き、公園などで住民の話を聞くうちに、大体、予想通りの答えで安心した。
ほとんどの住民が、『ここは良い所ですよ。』と異口同音に語った。
周囲の環境は保たれ、広がるたんぼ、白サギなどは30年前と全く変わらなかった。



 地区には内務省の土地に祠があった。
その後の大規模な遺跡調査で、保存確認されるのに時間がかかったようだ。
祠も公園内に保存されていた。



 30年間河川の氾濫もなく、暫定調整池は調整機能を果たし、
役割を終えた後に宅地に変換されるようだった。
あれほど苦労し議論した公園と緑道の関係については、
時間と人の流れが、自然にまちを作ったようで、
生垣の美しい静かな街並みが作られていた。



一方、車の通らない通路は、空地に草が生え、
管理が行き届かない状態にあった。



 たった一つの住民の苦情は、団地内の環状道路は、
計画にない外部道路との接続や、国道の4車線化により通過交通が増え、
空き巣などの犯罪が増えたことであった。

都市構造の変化とともに、コミュニティのずれが起き始めたのである。



 30年間、バブル期をはさんで、似たような街づくりが全国で行われた。
それは否定できない必要性があった訳だが、30年後を見据えた街づくりを
考えた者は誰もいなかった。
仮にいたとしても、都市構造、住民意識の変化は思惑通りではなかったはずだ。



 当時の職場環境は封建的で、新入社員は先輩から厳しく指導された。
現地調査の時に質疑応答があり、事務所に帰り撮った写真1枚まで詰問された。
はじめて見る土地で、『この地区の課題は?』とか、『風は何処から吹くか?』とか、
『なぜこの写真をとったか?』とか、その意味を理解したのは5年後である。
その答えがわかったのは10年後であった。
計画をテクニカルに理論だてる人であったが、
街づくりの基本をはずしていなかった。

計画の業務が完了した時、その先輩は
『30年後またこの土地を一緒に見てみよう。』
と再会を約束した。
通常、都市計画の目標は10年、せいぜい20年で、
30年後という数字には深い意味があった。

その後、彼は『インド人の人生観は40を過ぎたら宗教の世界に入り放浪し、
50で人生を終える。わしは40をもうすぎたから、旅に出る。』と言って退職した。
ヨット好きで、海外に行ったりしながら、20年以上経ったが、
昨年、彼は亡くなったと風の便りに聞いた。



※ 次の日、彼に何度か乗せてもらったり、飲んだ後に泊まらせてもらった
ヨットのあるクラブに行った。しかしそのヨットはすでに登録されていなかった。



  


Posted by Katzu at 03:02Comments(0)まちづくり

2012年06月01日

回復するサンゴと課題



 1970年代の復帰バブルの宅地開発に伴う土砂流出、
その後のオイルボール漂着、オニヒトデの大発生、そして1998年の
海水温の上昇によるサンゴの白化現象では、世界の7割のサンゴが死滅した。
この間、八重山の海を中心に回っていたが、訪れるたびにサンゴは無くなり、
海中景観さえ変わっていく現状に、もう沖縄の海の中を見るのも嫌になっていた。
沖縄本島の海は壊滅的だったが、近年、西海岸では、各NPOや企業の活躍もあり
サンゴの移植・保護活動が実を結びつつある。



 本島中部の東海岸はどうであろうか。
金武湾4島の東側は保礁が連なり、インナーリーフの水色部分は、
かつてサンゴが生息していた個所であるが、現在はアウターリーフの一部を除き
サンゴ類はほとんど生息していない。


                                     詳細
この海域は強い南風と台風の影響もあり、
一度失われたサンゴ礁は回復する機会がない。
金武湾の内側は海流が止まり、先にサンゴが死滅したと考えられているが、
宮城島、伊計島西側の海岸段丘下の砂浜付近では、サンゴ類が確認できる。



 伊計島の西海岸では、消波ブロックが自然景観を壊し、波による農地の浸食と、
消波ブロック事業の費用対効果が低いのは、誰の目にも明らかである。




しかし、事業目的とは関係なく、消波ブロックには
サンゴが付着し始め、魚も集まっている。



梅雨のこの時期は養分を含む雨水が流入し、海藻類も多く、
幼魚の群れが銀色に輝いている。
この東端の島は海流も早く、雨後にも関わらず透明度は高い。



 宮城島の西海岸では、細砂の浜で、県のサンゴ礁資源調査では、
サンゴ類はほとんど確認されていなかった。
この日は、大雨上がりで、濁りもあり、海藻類には砂がかぶっていた。
土砂に覆われ死んだサンゴの傍らからは、新しいサンゴが生育している。



水深2m程度の海岸沿いでも、ミドリイシ、ハマサンゴが確認される。
魚類もチョウチョウウオ、ヘコアユなど比較的豊富である。



 課題は長年の土砂流出による影響である。
宮城島の耕地整備による土砂流出は、18,000m3が海に堆積したと試算される。
これは25mプール40杯分に相当する。
海が荒れると、今までの堆積砂が舞い上がる。
しかも、現在でも年間約360トンの土砂が流出・堆積し続けていると考えられる。
この状態ではサンゴ礁の生態は維持できない。
海の生態づくりを進めるためには、陸地の調整池・沈砂池の
整備、管理が不可欠である。

 この島の観光客は、管理されたネット内の砂浜で、
移植されたサンゴと、餌付けされた魚を見るだけだが、
近くの海岸を覗けば、このような状況を観察できる。


  


Posted by Katzu at 22:27Comments(0)海の環境