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Posted by TI-DA at

2016年05月26日

廃墟のまち



地図を前知識なく眺めていくと周囲にそぐわない地形に遭遇する。
大規模開発地だったり、出来損ないの大規模公共施設だったり、
廃墟だったりするわけだが、中には理解できないものもある。
春先寄ったタイ北部ラオス国境のチェンセ-ンはそんな街だった。



市街地の郊外にバイパスが通りその内側にループ状の道路がある。
都市づくりの可能性としては非効率な街区のようでもあるが、
写真は木々に覆われ、公園、緩衝緑地、土塁のようでもある。



チェンセーンは中国雲南とルアンパバーンの中間にあたり
メコン川沿いのプーアール茶の貿易港として栄えた。



現地の土地利用は、コの字型に川を結ぶ水郷と城壁の跡であった。
レンガ造りという点を除いて、見かけは日本の城郭と変わらない。




街は古さを感じない何の変哲もない住商都市と思われたが、
住宅地の片隅の至る所に寺院の廃墟があった。



歴史地区の指定を受け5つの城門、25以上の寺院が確認されており
その多くは廃墟となった経緯もわからず再興する気配もない。
世界遺産になったアユタヤやスコータイに比べ遜色ない巨大な寺院も
あるが修復中で、他の遺跡は閑散として訪れる観光客もいない。



国立チェンセーン博物館でこの都市の歴史を調べたが
何か釈然としないものが残った。それはこの都市が、
中国、ビルマ、ラオス、タイに囲まれた交通の要衝にあり、
攻防が絶えず占領、破壊が繰り返されたためだろう。



14世紀、ランナー王国の首都として栄えたチェンセーンは
王により火を放たれ歴史の表舞台から突然消え去る。
背景には元の侵攻、ビルマ軍の侵攻と統治の歴史があった。
その結果、新しい住民が居住し、住宅地に廃虚が残る街になった。



アユタヤ王朝を滅ぼし清の大軍を撃退したシンビューシンの王都インワ



戦いに明け暮れたビルマ王の都は、現在は巨大門といくつかの
寺院跡を残し、農地以外に人の生活した気配すら感じさせない。



忽然と人が消えた諸行無常のかつてのバビロンである。





韓国慶州の仏国寺は李氏朝鮮時代に仏教弾圧を受け廃墟と化したが、
日韓併合時代に再興が図られ、現在は石窟庵とともに
朝鮮の古い歴史を伝える貴重な世界遺産となっている。


        大正時代


         現在 

石窟は白御影石で、最も精巧に造られた端正な如来像であった。
日韓併合時代、土に埋もれ壁が崩壊した石窟の工事を行ったが、
石像の配置を間違い、排水構造にセメントを使用したために
換気が行き届かなくなり補修が必要になったと説明文にあった。



日本の研究者は、配置は施行前の写真と同じで、終戦時は異常なく
移動展示の際に復元を誤り、再現できなくなったとしている。
その後、再築し補修を繰り返したが、余った多くの石材は
無造作に外に展示してあった。



対面の南山は、多くの寺社や石仏のあるトレッキングエリアであるが
廃仏も多く、ここにも仏教弾圧の歴史が残る。




アジアの廃墟の街は宗教的なものが多く、日本にも廃仏毀釈により
多くの廃寺を生んだ例はあるが、ほとんどの廃墟は放置されることなく
担保された土地は付加価値を生み、新たな土地へ更新されていく。

国内の廃墟の街は、鉱山の閉山により集落が廃棄された例が多い。
東日本大震災の住宅地の適地選定では、高台移転よりも
廃村利用の方が容易いと考えたが、住民はあの厳しい条件下でも
山に戻ることはすでに現実的な選択肢にはなかった。


        宮古市田老鉱山

最近ではバブル時代のニュータウンや大型施設の例があるが、
今後、限界集落として消滅する集落は2000以上あると言われる。


  


Posted by Katzu at 17:08Comments(0)歴史遺産環境

2016年05月07日

暖流と寒流が運んだ仮面



石垣島のアンガマと西表島節祭のオホホと宮古フツが、
黒潮に乗って辿りついたような韓国のグッタルノリ。



韓国安東市の重要無形文化財、河回別神グッ仮面劇
(ハフェマウル グッタルノリ)は、世界遺産の河回村に
12世紀の高麗の時代から村民に伝えられ演じられてきた。



河回村は洛東江が迂回する孤島のような自然環境に形成された集落で
街の形態も沖縄の離島と同じく村の中心から放射状に広がっている。



この劇の特徴は、強い者と弱い者、賢者と愚者、支配者と被支配者、
男と女、自然と超自然の対比で各場面が演じられる。




演じられる役どころは個性豊かだが、南洋の仮面劇や八重山の祭りの
ストーリーと同じ役どころを思い出してしまう。


          石垣島アンガマ

賢者のソンビやヤンバンは石垣島のウシュマイに、守り神のカクシや
ブネは八重山地方の来訪神ミルクに似ている。


         西表島祖納節祭

破戒僧のチェンや屠殺人のぺクチョンは、西表節祭のオホホや
エイサーのチョンダラーと同じく、祭りを盛り上げるトリックスターである。


        西表島星立オホホ


そして、劇中で第一音節が強調される韓国語は、イントネーションと
言葉が独特な宮古フツ(弁)となぜか似ている。

琉球と朝鮮の関係は歴史的に深いつながりがある。
中国を目指す交易船の行先は、黒潮に捕まると渤海湾に向かわず
一旦対馬海流に乗ってしまうと、済州島から朝鮮半島方面に向かう。



これまであまり語られることが少なかったのは、日本に対する
琉朝のお互いの立ち位置がゆらいでしまうからでもある。

最近、沖縄に韓国人旅行客が増えている背景が見えてくる。

他国の文化までをすべて自分がオリジナルと主張する韓国の
知識人は困りものだが、仮面の伝来にどう反論するのだろう。
一方で、神社の鳥居は渡り鳥を迎え収穫を祝う韓国のソッテである
という説は、農業文化の伝播を考えれば十分影響を受けたと思う。


        韓国慶州

沖縄の来訪神は南洋から訪れたものであるが、あまねく太平洋
ばかりか、インドシナ内陸にも同様の仮面や祭りが伝わる。


        ミャンマーヤンゴン

ミャンマー内陸部でも、街なかの祭りに波照間のフサマラと
同じような南洋人の意匠の踊りがあった。


         ミャンマーモンユワ


一方、ロシアから間宮海峡を下るリマン海流は日本海側に至る。
この海域にも海流が多くの生物や漂流物を運んできた。

今年2月、宮古のパーントゥなど日本の『来訪神:仮面・仮装の神々』
の行事8件がユネスコ無形文化財候補となった。




その中の日本海の来訪神は男鹿のナマハゲとともに
遊佐のアマハゲが挙げられた。
秋田の男鹿に対応して、遊佐町には女鹿という集落がある。



この地域全般に伝わるナマハゲ(アマハゲ)の祭りは、
赤面の鬼が主人公であるが、最近、この赤鬼は海で遭難し
山に逃げ隠れたロシア人であるという説が注目されている。




沖合に寒流の流れ込むこの海岸の集落は、
夏の光が輝くまでは閑散として物寂しい。

秋田美人のルーツは白系ロシア人という説は眉唾ものであるが、
この時期美味の厳ついカナガシラを見ていると、海を渡ってきた
ロシア人のナマハゲ説もまんざら嘘ではない気がしてくる。


  


Posted by Katzu at 17:32Comments(0)アジア