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Posted by TI-DA at

2015年11月18日

自然保護から環境保護―里山編



 沖縄の交通が切り替わった1978年に初めて西表島に渡った。
前年度に北岸道路が開通し、島の東部と西部が結ばれたばかりで、
同年にイリオモテヤマネコは特別天然記念物として指定された。
イリオモテヤマネコの発見は1965年で戸川幸夫氏が採取した
骨格と言われるが、島民は周知の事実で、舟浮在住の唄者、
池田卓さんの祖父が初めて捕獲したというエピソードがある。


             舟浮地区

島にはヤマネコの生息域を横断する林道計画があった。
大学の同級生達と浦内川の船着き場から沢登りしながら、
峠以外に見通しのきかない亜熱帯雨林を古見集落まで、
ヒルやヘビにおののきながら縦走したことがあった。


            浦内川源流

この森を切り裂く林道が,観光振興に役立つとは到底思えなかった。
島民は林業振興と生活利便性向上のために必要として、開発に賛成の
意見が多かったが、全国的な反対運動により森林開発は規制された。
その後、離島ブームは去りアウトドアブームが訪れ、リゾートブームが
起こりまた去り、最後に海と里山が残った。


             祖納地区

この頃から、1個体の過重な保護だけでは不十分で、
開発により環境整備・保全ができない場合は、
環境全体を保護しなければならないことが周知されるようになった。


             浦内川中流

 南の島の林道建設は、多雨で植物の繁茂が早く、地質も脆弱なうえ
台風被害で維持管理はますます困難になり、やがて利用者もなくなり、
残された林道は生物の移動を困難にするばかりである。
林道整備は今の費用対効果手法で算定しても、事業評価はNOだろう。
今も林道の起終点の白浜と大富には,その名残りの開通区間がある。


        西表島netより(詳細)

 短期的に雇用を生み出すリゾート開発も同様である。
最近は開発を容認してきた各地で、住民の反対運動が起きている。
西表温泉やヤマハリゾートの廃業の例もあり、本土資本の開発による
地元還元は限られ、経営に永続性がなく、再建できればまだいいが、
去った跡は元の環境に戻らないリゾート施設も多い。




浦内川河口の月ヶ浜のサンクチュアリリゾートは、反対運動のさなか、
2004年に開業したが、地形改変と投光の為ウミガメが寄り付かなくなり、
周囲のペンションも含め相対的にリピーターが減った。
その後、星野リゾートが引き継ぎ、環境への配慮など高い評価を受けたが、
日本一美しい浜という触れ込みでイダの浜をオプショナルで案内している。


           イダの浜

ツアー客に責任はないが、限界集落の舟浮の現実を知らず、
住民との差別化を図る経営の仕方は、経営が変わり客層が変わることで、
環境は投資の末にいずれ失われてしまうことを知るべきだろう。


           舟浮集落


イリオモテヤマネコは、クマネズミやカエル類、クイナなどの鳥類、魚類
昆虫類を捕食しながら、農地に近い里山近くまで広く生息している。



約2万haの森林が100匹程度の生態を維持させてきたと言われ、
農地造成や宅地開発により、その区域は年々狭められている。


     西表野生動物保護センター

同じ西表島の食物連鎖ピラミッドの最高位消費者として君臨するのが
カンムリワシで、人家近くの電線でも見かける機会が増えた。


          西表島干立

里山近くで人と動物の距離が狭まり、希少動物のロードキル、
イエネコとの競合、外来生物の侵入による被害なども増えてきた。



西表島は、山域を覆う亜熱帯の照葉雨林から、水量豊富な河川、
マングローブの汽水域、サンゴ礁と水の絶えることがない環境の中で、
動物と人間がバランスよく住める環境を模索し続けている。
イリオモテヤマネコはそれを監視するためのバロメーターである。


  
タグ :里山の環境


Posted by Katzu at 16:02Comments(0)里山の環境