2011年12月28日

震災復興計画その23

 現地で計画案が具体化し、まちづくりがスタートし始めている地区がある。
一方では、再建が難しく、集落の自治会を解散した地区がある。
もう一方では、移転も再建も判断できない地区がある。
これだけ足並みが乱れてしまった原因は幾つかあるが、
コミュニティ単位でまちづくりを進めるしか方法はない。
国土計画、広域市町村計画などは、後手後手にならざるを得ない。
今の時点では、計画屋がテクニカルに街づくりを進めることは難しい。
まちづくりのアイディアと、地元コンセンサスが大切になる。

震災復興計画その23

 この新しい街づくりを進めていくには、若い人のリーダーシップと、
アイディア、ボランティアの存在が欠かせない。
新しい世代の判断も必要なのである。
テクニカルな計画、資金、制度などは、あとからでもついて来る。

震災復興計画その23

 一つ明るい知らせがあった。
閖上地区は震災後最も近い被災地であることもあり、
気になっていた地区で何度も訪れた。
震災後、復興支援ブログを立ち上げた彼には、
陰で支え、見続けていきたいと願っていた。
身内を失い、家も失い、友人仲間やボランティアに支えられながら、
彼は街づくりに興味を持っていく。
ブログは宮城県内で一位にランクされ、多くの人に見つめられながら、
彼はようやく動き出す。
そして、市議会議員になって街づくりに参加しようと決心する。
絵に描いたような若者の行動美学で、だれもが応援したくなる。
彼が、少しでもこのブログの復興計画を見て、頭の片隅に何らかの
街づくりの意識を持ってもらえたなら本望である。
貞山堤から飛び立った水鳥のような、洋平さんにエールを送りたい。
               名取閖上復興支援のブログはこちら

震災復興計画その23



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