2011年05月18日

地名が教える津波の足跡(1)

先祖が残した歴史とその思い
自然災害と地名については、その関係が指摘されている。
良く言われる土地の特徴とその脆弱さを表す地名は、
谷地吉原(葦原)、悪戸(土)、川原埋立(島)、(いかり)などがある。
三陸では、大船渡(高台、尾根)、宮古市の花輪(塙、高台)、
釜石市花露辺(断崖)などがある。

地名が教える津波の足跡(1)

津波についてはどうであろうか。

三陸の久慈から南下するに従い、気になる地名が次々に現れる。
その中でも浪板(なみいた)という地名は大槌町、大船渡市、気仙沼市、
南三陸町の4か所にある。これらの集落は、波打ち際での被害も
あるが、比較的高所で直接的な被害を受けていない。
一度津波に遭って移転したか、津波を板のような断崖で受ける
ような状況が目に浮かんでくる。

船越という地名は山田町と石巻市にある。
全国にも多く、港や舟を陸送する場所に多い。
石巻市には渡波(わたのは)という地名がある。
ここは市街地で津波の被害をうけた地区である。
この被災は隣の万石浦の入口の流留で文字通り止まっている。
さらに津波被害は内陸部の瀬戸(海峡の意味)まで及んでいる。
まさに瀬戸際である。
不思議なのは市街地で被害の少なかったのが愛宕山周辺の曽波神である。
この他、石巻市には、文字通り高台にある舟隠追波(おっぱ)、
という地名もある。

地名が教える津波の足跡(1)

 南三陸町には波伝谷(はでんや)という古い集落がある。
百済の舟が座礁したことから波転谷と名付けられたが、
津波被害を受け現在の波伝谷に変わったと言われている。
契約講というしきたりや天女伝説などもあり、三陸文化と歴史を伝える
貴重な漁村であったが、魔王神社戸倉神社だけを残し壊滅的な被害を受けた。
他に南三陸町には高台になぜか砂浜という集落もある。
                         波伝谷の地図はこちら
気仙沼市波路上(はじかみ)は、気仙沼市の先端にあり、
市街地を守るように津波を受け、
その後津波は半島の付根の集落上を通り過ぎて行った。
                         波路上の地図はこちら
大船渡市越喜来(おきらい)、綾里(りょうり)、甫嶺(ほれい)は
共に珍しい地名で、隣合わせにある。
何度も津波の被害を受けてきた赤鬼伝説の残る土地である。
赤鬼とは南蛮人か津波のことかもしれない。
その他にも、宮古市の追磯砂森舟川原鰹沢坂上などがある。
 
三陸地方の上記地名はアイヌ語の当て字である地名も多く
、他にシカリナイ、モベツ、ヒナイ、オサツナイ、サルマエイロ、
トー二、ケロべ、オナツベ
などがある。南洋的な地名は、ニナイダイラ、
ボロタイ、アイナイ、イタソロ、ウエンタイ
などである。

口承(OralTradition)や伝説による歴史考察は、
最近よく行われるようになった。
しかし今回の津波で、多くの知識と文化遺産が失われた。

一村の地名を紐解くだけでも、大変な歴史文化の調査である。
時間と体があれば調べ直し1冊の本になりそうだが、
どなたかきっと出版されることだろう。

今回の津波は科学で証明できないことが多すぎた。
これからは、工学と史学の組み合わせ が津波防災のカギかもしれない。



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Posted by Katzu at 12:17│Comments(0)大震災
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