2012年03月16日

基地返還後の沖縄の姿

基地返還後の沖縄の姿

 先月、沖縄マラソンで嘉手納基地内を走ってきたが、
その広い芝生と、建物の非日常的な空間利用に驚く。
兵舎の間隔、芝生の広がりが日本とまるで違う。
自衛隊基地、一般空港とは、比べられないスケール感である。
しばし芝生で足を休めるが、年に一度、基地内で寝そべるのが
楽しみだと語るランナーもいた。
嘉手納はアメリカがある限り返還されないとか、
普天間の嘉手納統合の話が出るのは、ここに来ると実感できる。

 沖縄中南部米駐留軍跡地利用広域構想に対する
パブリックコメント(インターネットによる意見聴取)が、求められている。

基地返還後の沖縄の姿
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現在返還予定の普天間基地以外の5施設用地とは

①キャンプ桑江68ha
②第一桑江タンクファーム16ha
③キャンプ瑞慶覧596haの一部
④牧港補給基地274ha
⑤那覇港湾施地区56ha

 3のキャンプ瑞慶覧は、一部であるが国道58号沿いと、
内陸の計画中の鉄軌道敷が返還されると推測される。
これら5地区を合わせると、普天間基地と同じ、約500haとなる。
これには何かの思惑、メッセージが含まれているのだろうか。

この基地跡地の整備コンセプト案は、実に多くの、
現在考え得る、都市計画の美辞麗句で輝いている。
これだけの高機能都市の集積計画案は、全国的にも珍しい。
バブル時のグレードの高い計画は、街の魅力を最大限引き出し、
同時に補助金を引き出すためのコンセプトづくりを行ったもである。

北側の3地区(桑江、タンクファーム、瑞慶覧)のコンセプトは、
北谷に商業機能が集積しているため、住居系土地利用の計画になっている。
一方、南側の2地区(牧港、那覇港湾施設)は、
ウォーターフロントの商業、交通施設計画となっている。
バブル以降、これらのプロジェクトがあるのは沖縄だけで、
この状況は日本列島改造や、返還後の海洋博バブルに匹敵する。

 首相が来島した際の600億円の振興基金の追加や、
通常補助金の優先的予算化で、これらの事業は早期に進むだろう。
一方、沖縄では多くの大型開発事業が進行中で、北谷のフィッシャリ―ナ、
泡瀬埋立地、キンバル開発事業、読谷村大湾東の区画整理事業など、
今から宅地供給される地区が、100ha以上ある。

これから、沖縄の街はどう変わって行くのだろうか。

基地返還後の沖縄の姿

基地返還後の沖縄の姿

 現在の具志川周辺の30年間の開発のスピードを例にみると、
基地返還後の街の隆盛は、驚くほど速い。

次の表は、このまま急激な市街化が進んだ場合の最悪のシナリオである。

基地返還後の沖縄の姿

現在の補助事業システムが変わらぬ限り、今まで通りの開発事業が進む。
公共インフラの整備は、普天間基地からみなので、
新市街地整備の後に行われるだろう。
大規模の人口流入がない限り、全体的に宅地過剰となり、遊休宅地が増えてしまう。
そして、地方都市の商店街同様に、現在の商業集積地も再編を余儀なくされる。
皮肉にも、基地返還を表明しないキャンプハンセンやホワイトビーチ周辺が
沖縄らしい環境を残す結果になるのだろうか。

 街の背骨を変えることを街の発展とするなら、
今まで親しんだ街の姿が失われることを、覚悟しなければならない。
同じ過ちを繰り返さないためには、都市開発の視点とシステムを変えなければならない。
無駄な税金を使わず、無駄な土地を残さず、
新しい健全な都市を発達させる方法は一つある。

現在の沖縄振興整備構想に欠けた視点は、
国内の宅地需要とグローバルな人の移動である。

具体的には、福島の帰宅困難区域の集落住民を優先的にした、
新しい居住区を設定することである。
さらに、その対象をアジアや世界の沖縄出身者に広げると、
構造的なグローバル社会を生み出し、国際競争にも強い
沖縄独自の経済の自立が可能となるだろう。
そのためには沖縄の文化、自然を育む環境を失わないことが
大切であることは、周知の事実である。




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