2016年11月30日

土木と建築の間

 日本の建設の現場は土木と建築に分かれる。ほとんどの理系大学の学科にしても土木と建築のカリキュラムに分かれ、そのいずれにも属さない環境系、デザイン・計画系、社会科学系の学生は街づくりを生業とすることに苦戦している。これは日本の建設システムと会社の業務が土木と建築に大別されているからに他ならない。先進国でもこれだけ緻密に大別されている国も珍しい。

土木と建築の間

 先日の福岡駅前の陥没現場では、その土木と建築の境が明確に見えた。公共空間の道路が垂直に陥没し埋設物が切断されても、民地側の隣のビルは杭基礎がむき出しになっても自立している。土木構造物と建築物とでは地盤調査も基礎計算もおのおの異なる。被害を最小限にとどめたのは、日本ならではの技術の緻密な構造化が行われた証拠でもある。

一方、都市建設の弱点、特に補助事業の盲点が露呈した。地盤調査の結果、マニュアル通りシールド工法よりナトム工法を選択したのなら、補助事業の場合は選択の余地はなく、とがめられることはないが、ここの設計か現場管理の担当になったと想定すると気が気でない。

土木と建築の間

地盤調査と地下埋設物と道路2車線分の仮復旧まで10日間、本復旧まで3か月と試算した。恐らく現場では早く埋めろ、と上から罵倒されただろうが、このプロセスがないと後から誰の判断ですぐ埋めたのか問題になる。
現実は市の判断で流動化処理土の大量投入により1週間で復旧させたわけであるが、工事の迅速さよりも大量の固化材の確保ができたことの方が驚きである。ただ、埋めてしまっただけに地下埋設物の基礎工、地下空間と地下水の調査はどうするのだろう。数センチ下がっただけでマスコミに騒がれるのなら、市民には仮復旧なのでモニタリング中だと説明するべきではなかったのか。

多くの土木公共物が既に耐用期間を過ぎ、事故が起こればすぐ蓋をすることを繰り返した結果、街の地下を掘れば得体の知れない構造物が必ず顔を出す、というのが今の日本の都市の姿なのである。


土木と建築の間

 モニタリングと言えば豊洲新市場。こちらは土木と建築の間の悪い部分が表面化した。
汚染土を入れ替えずに地下空間を指示したのは誰かと犯人捜しになったが、はじめから、コンサルに聞けばわかるのにと思った。技術的な提案はコンサル以外には考えらえない。コンサルには秘匿権があることと、設計の特記仕様書に地下空間のモニタリング検討という文字があるので責任は逃れられる。
担当コンサルは東京の名だたる施設を手掛けてきた建築系のコンサルで、当初は土木系のコンサルから見れば土を甘く見たな、という印象を持った。建築屋としては、地下水位より上に密閉したコンクリート基礎の地下空間を作ることは何ら間違った選択ではない。ただ、地盤改良は整地した土木工事の範疇であり、高潮時の上まで土壌汚染土の影響が及ぶことを安易に解釈し、モニタリングしながら対処する時間すらなかっただけだ。

土木と建築の間

豊洲の空撮写真を見ると設計担当者の苦悩が痛いほど伝わってくる。土地利用計画は、決められた狭いブロックに多くの機能を凝縮させたような印象を受ける。
特に交通計画などは幹線道路からの取付けを無理矢理、建築物の一部として解釈している。そもそも汚染土対策の課題があるのなら、このスケジュールでは無理だと誰かが身を切って進言すべきだった。

 建設業界の土木と建築の間は、環境面の配慮や歴史の検証がなされ計画されても、トータル的にコントロールできないのは、東日本大震災の復旧や福島原発の汚染対策、オリンピック会場の積算を例にとるまでもなく、その間の壁を隠れ蓑にしてきたためでもある。
そして人々の脳裏から消え去る頃に、モニタリングの結果安全だから、帰っていい、使用していいとあいまいに物事は進んでしまう。






タグ :街づくり

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