2012年10月09日

ラビエンスの街

 街を歩いていると、道に迷い方向がわからなくなり、
迷宮(ラビエンス)のようなブロックに入り込むことがある。

欧州では、建物を回廊(コリドー)が結ぶ石畳の街並みが
数多く残され、魅力的な小路に遭遇する。

ラビエンスの街

 日本では、木造家屋の延焼の危険性が高く、
建築基準法の2mの接道義務があるために、狭少道路をなくし
幅員6mの道路による区画整理が、日本の街を形成してきた。
このため、車社会に不便な街は、商業地以外は少なくなってしまった。

最も、日本では主に条里制に基づき、街区が形成されたため、
高密度住宅地でも、発展途上国のような極端な状況は生まれなかった。

ラビエンスの街
           ブラジル・リオのファベーラ

日本にある複雑な街区の形態は、大体以下の3つのパターンに分かれる。

1、城下町パターン
古い城下町や寺町で、防御に強いカギ形、三叉路の道路が基本となり、
行き止まりの細街路が付随した例。
ラビエンスの街
             金沢市兼六町付近

2、小集落パターン
主に河川沿いに自然発生的にできた集落で、無秩序に道路が延び、
独立特化した集落のため、外部の者が侵入しにくい形態になった例。
ラビエンスの街
             大阪市旭区付近

3、小開発パターン
高度成長時代に、ミニ開発地が増殖しながら繋がって発達し、
高密度の住宅地となり、住環境が悪化した例。
ラビエンスの街
             門真市古川橋付近

 このような地区は車では入りづらく、外部者の足は遠のいてしまう。
防犯防災上、住環境の悪化のため、幾多の施策が講じられた結果、
都計道路が切られ、再開発、区画整理などが行われてきた。
今振り返れば、これで良かったのだろうかと思う地区もある。

 住む人にとっては、静かな環境で車も入らず、
集落のまとまりもルールもあり、
危険な外部者も察知し、安全で魅力的な街だった、
バブルに踊らされただけではなかったか、と感想を述べる地権者も多い。

土地の安全と生活の幸福を、切り離して事業化すべきではなかったか、
と大震災後に思うようになった。

 那覇市城下の首里、壺屋にも迷路のような地区がある。
これは日本の城下町のパターンとも違い、自然地形を活かしつつ、
元々は、御嶽や井戸を中心として構成されており、
風水に基づき造られた、独特の街路形態になっている。

ラビエンスの街

 このような地区では、若者が店を開いたり、車のない都市生活ができる優先性を、
逆の意味で土地の差別化を図り、土地活用する方向へと進む。

不便、迷惑と思われていたものが、都市の魅力を引き出す時代になっている。



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