2014年08月02日

日本統治時代のまちづくり

 一昨日起きた高雄市のガス爆発事故のニュースを見て、2週間前に近くにいた
というだけでなく、他人事とは思えぬある想いが脳裏をよぎった。
この地域は日本統治時代に工業化を進める際にインフラが整備された地区で、
日本国内と同じ条件の施設は、多くのインフラが更新の時期を迎えている。

日本統治時代のまちづくり

原因は化学工場につながるプロピレンガスに引火したものとされ、工業都市が
住商都市に変化した悲劇ともいえるが、戦前に埋設された構造物が現在の
街づくりの足かせとなっているのは紛れもない事実であるからだ。
テレビではある専門家が、『日本ではパイプラインが住商地区にあること自体考えられない。』
とだけコメントしたが、その基本となる街を造った国の者が、過去の情報を共有して
事故につながらないように協力をすることが大切であると思う。

日本統治時代のまちづくり

 現場から近い高雄駅の隣には旧駅舎が保存されている。
内部の展示場には再開発の都市計画の歩みが展示されているが、
用途指定や住民参加の街づくり手法なども日本とさほど変わらない。

日本統治時代のまちづくり

日本統治時代のまちづくりは、農業の育成や民間工場の現地移転だけでなく、
道路・河川・港湾・鉄道・上下水・電力のインフラ整備を日本国内同様に行った。
生産拠点、軍事拠点づくりが第一義であったが、現在も都市の姿に残されている。

日本統治時代のまちづくり

運河として掘削された愛河の河岸はウォーターフロントとして再開発され、
積み出し港としても栄えた旧高雄港駅は、公園として整備されている。

日本統治時代のまちづくり

100年以上の歴史を持つ駅舎は鉄道故事館として保存され、
構内にはSLが展示され中学生の見学者であふれていた。
港の倉庫や引き込み線は芸術特区として再利用されている。

日本統治時代のまちづくり

 高雄市郊外には日本統治時代から引き継いだ製糖工場と日本人の町が残されている。

日本統治時代のまちづくり

各街区に設けられた防空壕や木造家屋、トロッコ電車などが公園となり整備されている。
敗戦の香りが残る昭和の時代のかすかな記憶がよみがえるようだ。

日本統治時代のまちづくり

 日本統治時代のインフラや建築物が、これだけ多く残され維持管理されている国はない。
空襲で多くが失われ更新されてきた日本国内よりもむしろ多いほどで、
産業遺産や公共建築のなかには昭和の香りを感じさせるものが多い。

日本統治時代のまちづくり
            台湾糖業博物館

植民地政策の正当性を主張したり、台湾人のしたたかさを卑化することはたやすい。
しかし、敵国の物として破壊された他の国とくらべ、残してくれた台湾の人々に対し
一日本人として、ただ感謝したいのである。

日本統治時代のまちづくり

なぜこのような施設が残ったのだろうか。
台湾の戦前の構造物を見て歩いて感じたのは、計画、施工する者の意識と質の高さである。
きっと彼らは一時的な占領地としてではなく、国内と同様のデザイン施工を心掛けたはずだ。
むしろ、権利関係や施工条件の厳しい国内より自由な発想で、渾身の作品を造ろうとした気慨が伝わる。

日本統治時代のまちづくり
            台北市立博物館

ほんの小さな構造物でもその思いが伝わる。
狭い峡谷に造られたトロッコ道。平地を造るため、谷を擁壁で止め
パイプで排水させ橋下に流下させる箇所があった。
その排水路はエルボやコンクリート断面にすることなく、石張りで地形にあわせ処理していた。
まるで設計者は手間をかけ、50年後の自然の景観が戻るように設計したかのような心使いであった。

日本統治時代のまちづくり
              烏来

海外ではあまり使われていない1067mmの狭軌は、日本と同じゲージで、
鉄道公園の線路に座っていると、昭和の響きが聞こえてきそうであった。

日本統治時代のまちづくり
            旧台東駅



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