2016年08月03日

ファヴェーラのまちづくり

ファヴェーラのまちづくり

リオデジャネイロの景観は、世界三大美港といわれる港とそれに続く砂浜、大都会と岩山との織りなす他に例を見ないコントラストにある。平坦な市街地は意外と少なく、背後にすぐ山が迫る。

ファヴェーラのまちづくり

その斜面を這うようにファヴェーラと呼ばれる貧困層の集落が、必ず市街地に連担して形成されている。

ファヴェーラのまちづくり
       Santa Marta

観光地のレブロン、コパカバーナやイパネマでさえ、背後にはファヴェーラの斜面住宅地があり、その数はリオ市内に1000以上あると言われる。

ファヴェーラのまちづくり
       Santa Marta

ブラジルの2010年国勢調査ベースで見ると、リオ市の人口6,323,037人のうち、ファヴェーラの人口は22%の140万人と推定される。さらに市街地の人口増加率3.4%に対しファヴェーラの人口は10年間で27.65%増加している。
ファヴェーラの歴史は、奴隷解放により都市部に流入した黒人貧困層が、自分達で築いたコミュニティがその始まりとされる。リオのイメージは、映画『黒いオルフェ』の影響もあるが、陽が落ちると山手に灯りがともりサンバが聞こえてくる情景が思い浮かぶ。

ファヴェーラのまちづくり

ファヴェーラはいわゆる食べることもままならない貧民窟でも、他者を排除する黒人コミュニテイでも、日本にあるような被差別集落でもない。街には水道も電気も入り、今では若者の9割がインターネットにアクセスし、肌の色の区別なく多くの住民が下界の都会に通勤している。性格的には、地価の高騰した都市部に生活できない低所得者層が集まった集落なのである。

ファヴェーラのまちづくり

ブラジル国民はCPFとう納税証明IDを持つことが義務化されている。持たないと、クレジットも、病院も、定期券も、選挙も、ネット予約さえできない。税金を払わない人間はCPFが持てず、ファヴェーラの地下生活に入るしか道はない。ファヴェーラが無くなるか、安全な街に変わらないのは、依然として麻薬密売組織の利権がこの街を牛耳っているためでもある。

ファヴェーラのまちづくり

一方、ファヴェーラは多くの誤解と偏見を受けている。特に都市を運営する立場からは、人口の定まらない地区への公共投資、市全体の防犯防災対策、都市開発の足かせとして排除する方向へと向かう。
今までリオ市当局も、集合住宅の建設と賃貸援助、ケーブルなどの公共交通の整備、警備組織の強化が図られ、道路やオリンピック関連の開発による移転を促してきた。

ファヴェーラのまちづくり

ファヴェーラは住宅と商店の併用が多く、狭い路地にバー、食堂、仕立屋、電機屋、雑貨屋、教会、学校、ホステルなどがある住商混合地区でもある。住民の立場とすれば強制移転や警官による誤射、暴力など都市開発は受け入れがたいものと感じている。


ファベーラ整備は世界で最も難しい街づくりとされる。

ファヴェーラのまちづくり

7月13日の夕方、ボタファーゴのSanta Martaに行った。
ここはオランダ人のデザイナーによるファヴェーラ・ペインティング・プロジェクトにより、世界のデザインとして紹介された街である。建物のペインティングによる街づくりは、観光ツアーが行われるほど有名になり治安も回復し、国内外から高い評価を受けた。しかし、昨年再び7年ぶりに麻薬組織との銃撃戦があり、また元の街に戻ったと報道された。

ファヴェーラのまちづくり

コパカバーナのホテルから1kmほど山手に行くとコルコバードのキリストを望む教会があり、ファヴェーラの入口に交番があった。警官に訳を話し入っていいか尋ねると、今から巡回に行くからと、手で、こいと合図された。

ファヴェーラのまちづくり

夕方の街の様子は、仕事帰りの買い物客や開き始めた居酒屋の準備などで少しあわただしく、よそ者に注ぐ視線は感じない。5m先を行く武装警官二人は、途中で路地に入って行ってしまった。

ファヴェーラのまちづくり

何度かテレビでも紹介された小さな広場は、さすがにペイントも古くなり、店は閉じ観光地の雰囲気はない。暇そうな若者が二人座って、トラブルを期待するかのように通りを眺めていた。

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右手に人の列を見つけ向かうと、そこはケーブルカーの入口であった。登るつもりはなかったが、おばさんが今から暗くなるから行かない方がいい、みたいなことを忠告してくれた。ほんの1時間歩いただけで3回ほど声をかけられた。今日何かあるの?店はまだだけどサッカーを見に集まっちゃって、みたいな意味のことだったと思う。

ファヴェーラのまちづくり

テレビのファヴェーラの怖く冷たいイメージとは違い、むしろ東京の下町の雰囲気に近い。決して豊かな人達ではないが、下界の華やかだが冷たい観光地にはない田舎に近い人の温もりを感じる街だった。

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ファベーラの入口には学校や病院もあり、児童公園が整備されていた。公園には使い古されたツアーの案内図などもあった。

ファヴェーラのまちづくり


彼らが『ファベーラを芸術で救おう』と始めたプロジェクトはペイントと同じく劣化したのではなく、公園に集まる子供やペットと遊ぶ家族を見ていると、違う形で実を結んでいると感じた。しかも、このファヴェーラはコルコバードの丘から、いつもキリストに見守られている幸運な街なのである。

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